海の向こうから届く訃報は、寂しさとともに、ある種のノスタルジーを掻き立てる。1970年代後半のプロ野球を沸かせた舶来の長距離砲が、この春、相次いで鬼籍に入った。

 

 ひとりは広島で活躍した左打者のエイドリアン・ギャレット。77年=35本塁打、91打点。78年=40本塁打、97打点。79年には27本塁打を放ち、球団史上初の日本一に貢献した。享年78。

 

 もうひとりは阪神で活躍した右打者のハル・ブリーデン。76年=40本塁打、92打点。77年=37本塁打、90打点。日本球界で「赤鬼」と呼ばれ、恐れられたのは、私が知る限りではジョー・スタンカ、ダリル・スペンサー、チャーリー・マニエル、ボブ・ホーナー、そしてブリーデンの5人である。享年76。

 

 ギャレットとブリーデンには共通点があった。鈍足でお世辞にも守備は上手いとは言えないのだが、巨躯から弾き出される打球は、異次元のスピードと飛距離を誇っていた。三振の多さはご愛嬌。ふたりは主役の山本浩二や衣笠祥雄、あるいは掛布雅之や田淵幸一が打ち取られたあと、「まだオレがいるぞ」とばかりに登場する“青い目の用心棒”だった。

 

「ふたりとも荒っぽかったけど、バットの芯に当たった時の飛距離は“さすが元メジャーリーガー”というものがあったよ」。そう振り返るのは両雄としのぎを削り合ったヤクルトの元エース松岡弘だ。「基本的に2人とも穴の多いバッターだから、(制球を)間違わなければ大丈夫なんだ。しかし、ひとつ間違えると、もう諦めるしかない。打たれてもホームラン1本は1本なんだけど、“どこまで飛ばしやがるんだ!”という怖さがあった。これは日本人にはないものだったね」

 

 日本では破格のパワーを誇ったギャレットもブリーデンもメジャーリーグでの実績はパッとしない。通算本塁打数はギャレット11本、ブリーデン21本。「プロ野球のレベルは3Aか、そのちょっと下だった」。6年前、カンザスシティでインタビューした際、日本で7年間プレーしたスペンサーは、そう語っていた。

 

「時代も変わったもんだねェ」。不意に松岡が言葉を継いだ。「グリーンモンスターを片手1本で越えていく日本人が現れるなんて思ってもみなかったよ」。エンゼルス大谷翔平の11号に度肝を抜かれたというのだ。「アイツこそメジャー・オブ・メジャーだよ」。ギャレットやブリーデンの特大アーチに心躍らせた日々が、逆に今となっては妙に懐かしくもある。

 

<この原稿は21年5月19日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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