第75回 「光のさしたトライアスロン界」

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 12月3日の朝、翌日から海外に行く事もあり、やること山積状態でパソコンに向かいMailチェック。と、驚くべきNewsが入っていた。
「田山寛豪がワールドカップ優勝!?」
 正直、読み間違いかと目を疑った。しかし、何度読み返してもはっきりとそう書いてあるではないか。これまで日本人がワールドカップで優勝した事はなく、男子においては今年に入ってトップ10入りさえなかった状態。関係者でさえも、優勝を夢見てはいたが、予想すらできなかっただろう。なのに、いきなりの優勝。喜びよりも驚きの方が大きかったというのが本当のところだ。
(写真:笑顔でフィニッシュする田山選手 (C)Satoshi Takasaki/JTU)
 日本でトライアスロンが始まって約30年。ワールドカップがスタートして17年になるが、世界における日本選手の立場はいつも厳しいものであった。過去に入賞した例がないわけでもないが、誰が見ても勝負できるエリアからはちょっと外側の存在。一桁でフィニッシュ出来たなら万歳もので、優勝なんて事はちょっと違う世界のものだと思われていた。たまたま、最近の専門誌において、北京オリンピックの予想を関係者がしているが、誰もが入賞レベルまでしかあげていない。選手を間近に見ている人でさえこれだから、いかに遠い世界にいたかお分かりいただけるだろう。特に男子においてはその傾向が顕著で、世界の厚い壁に弾き飛ばされていた状態。それがいきなりの頂点に驚いたのも無理はないだろう。

(写真:W杯で表彰台の中央に立つのは日本人初の快挙 (C)Satoshi Takasaki/JTU)
「生まれ変わる瞬間ってあるんですね!」とは本人の言葉。その日はいつものレースとは違う自分がいたのだという。「スタート前に無心になれました。勝ちたいとか、プレッシャーとかなく、ただ、すごく落ち着いた気分でスタートを切ることが出来たんです」。もちろん体調も良かったのは間違いないが、精神的にもいい状態であったことが伺える。
「周りの選手の息遣いはもちろん、応援している人の顔、周辺の景色まですごく冷静に見えていた。だからなにも焦らないんです」
これが、極めた時の心理状態か。
「とにかく自分のスタイルであるランの飛び出しから積極的なレースをしようと思っていて、その通りに物事が運んだんです。あとは無我夢中で走るだけ。後ろは一回も振り向きませんでした」
一時は世界の強豪がすぐ後ろに迫っていたにも関らず、それすら気にすることなく自分の世界に。
「だから最後まで勝てるかわからなくて油断できませんでした。でもそれが良かったのかな」と満身の田山スマイル。フィニッシュで思わず踊り出すパフォーマンスも見せてくれた。
「正直、最後はよく覚えていないんです。フィニッシュ前から細かい記憶が飛んでいて…」
それまでは冷静にレースを進めてきた田山も、勝利を確信した瞬間から気持ちが飛んでしまったのかもしれない。でも、その自然な喜びの表情が世界中に素晴らしいアピールになった事は事実である。

(写真:世界一の証ワールドカップの金メダル)
「一番優勝を実感し、感動したのは国旗掲揚と国歌斉唱です。日本ではなんとも思わなかったけど、海外で皆がそれを見ているのを見て、やっちゃったなぁ〜と」
次にこの感動を北京の会場で得ることが具体的になってきたと我々は浮き足出すが、本人はいたって冷静。
「これでやっと勝負できるスタートラインに立てたと思います。本当に勝負できるメンツに入ったかなと。だから具体的なイメージを持ってもう一度ボトムアップすることが出来るのです」と、明るい表情の中に強い決意を感じさせる。これが世界の頂点を一度経験したものの視野の広い、自信をもった目なのかもしれない。

(写真:田山選手のスマイルは輝いている)
今回の歴史的な勝利は本人だけでなく、他の日本選手をも大きく力づけた。「日本人でもやれば出来る。世界は近くないけど、手が届くのだ」と。選手には成長過程においてブレイクスルーする瞬間がある。出来ないと思っていたことが普通に出来るようになる瞬間が。これを越えた選手は1ランク高い次元で勝負が出来てしまう。どんなに頑張っても越えられなかった壁が、当たり前のように飛び越えられるようになる瞬間だ。これは個々だけでなくチームや業界でも起こる現象。「大リーグで活躍なんて…」と思っていた常識的概念が、野茂選手の活躍で変わってしまったように。トライアスロンはまさにそんなチャンスをつかんだのかもしれない。

問題は出来ない事じゃない。「出来ない」という気持ちが問題なのだ。
日本トライアスロン界の来シーズンの活躍を期待せずにはいられない。

白戸太朗オフィシャルサイト

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。
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