今月も鈴木康友コラムをご覧いただきありがとうございます。プロ野球は本日25日から交流戦が始まります。田中将大の日本復帰が決まった時から楽しみにしていた2013年の日本シリーズ以来の顔合わせとなる田中対巨人・菅野智之は当分、お預けのようですね。両エースが万全の状態で対決する日が来るのを待ちましょう。

 

 飛車角落ちの巨人

 首位・阪神を追いかける巨人にとって、坂本勇人の負傷離脱は痛いの一言です。9日の東京ヤクルト戦で一塁ランナーの坂本は、キャッチャーの牽制で帰塁する際に親指を骨折しました。今と昔の野球ではケガをする場面が異なっています。

 

 昔はホーム上のクロスプレー、セカンドベース上の併殺プレー、外野フェンスへの激突でのケガがありましたが、今はコリジョンルール、危険スライディングの禁止、ラバーフェンスの導入でほとんどなくなりました。では、今の野球でケガをするのはどこか? デッドボールと一塁ベースの駆け抜け、そして坂本のような帰塁時です。

 

 このうち一塁の駆け抜けと帰塁は、どの試合で誰もが経験します。一塁ベースは以前から言っているように、左足でベースを踏めば故障予防になります。一塁手と交錯しても左足でベースを踏んでいれば、次に右足を踏み出せるので転倒のリスクが少なくなります。イチローがいつもやっていたプレーです。私がコーチを務める立教新座高(埼玉)の選手にも、「一塁ベースは左足で踏めよ」と徹底しており、ようやく浸透してきました。

 

 次に帰塁です。坂本は一、二塁だったので「後ろの走者の自分は警戒が薄くなる」との油断もあったのでしょう。そこにキャッチャーからの牽制がきて慌てて帰塁したのがすべての原因です。

 

 私が埼玉西武のコーチをしていた97年、日本シリーズでヤクルトと対戦しました。第2戦の初回、一塁ランナーの松井稼頭央が先発・田畑一也から牽制される場面がありました。サインを見ながら捕手・古田敦也からのフラッシュサインでの牽制。慌てて帰塁した稼頭央はこのときに親指を突き指したんですよ。

 

 スローイングに影響が出て、今でもあれがシリーズ敗戦の要因だったと思っています。あのシリーズ、稼頭央も打つ方では頑張っていたんですが、やはり守備はケガの影響が出ていましたね。

 

 帰塁でケガが多いのは慌てることと、あとは練習不足が原因です。バッティングや守備は毎日練習し、スライディングも西武なんかは頻繁に練習していました。でも、帰塁の練習はほとんどやらない。だから地面やベースとの距離感がわからなくてケガをするんです。

 

 プロでもそうですから、高校野球はもっとケガをする確率が高い。高校生相手に教えているときに「二塁ベースに立つの初めてかもしれない」なんていう選手もいたくらいですから、帰塁はこれからきちんと練習メニューに組み込むようにしようと思ってます。

 

 それにしても巨人は痛いですね。菅野、坂本がいないということは将棋なら飛車角落ちですよ。ゼラス・ウィーラーが頑張ってますけど、彼は桂馬って感じですし(笑)。それでも2位にいるんだから地力はあるんでしょう。ただここ何試合か見ていると、原辰徳監督に焦りがあるように感じられます。

 

 東京ドームの阪神との3連戦の2試合目、初回に原監督はダブルスチールを仕掛けました。1点リードされての序盤、しかも打席には強打のジャスティン・スモークですから、普通はやらない。キャッチャー梅野隆太郎も当然二塁に投げるシーンですよ。それで同点に追いついたんですが、次は5回に同じ2死一、三塁で再びスモーク。ここでスモークが3ランでした。初回も打たせるのが定石ですが、早いうちに追いついておこうというベンチの意図だったんでしょう。勝負に徹底しているといえばそうなんですが、どこか巨人の焦りがあるように思えました。

 

 後ろからヤクルトも迫ってきている状況です。セ・リーグは首位・阪神を巨人、ヤクルトのどちらが止めるのかが注目ですね。

 

 パ・リーグは楽天のルーキー早川隆久が頑張っており、打線も好調です。また福岡ソフトバンクも各打者に当たりが戻ってきました。千葉ロッテは辛抱強く安田尚憲など若手を使いながら、育てています。まだどこか1チームが抜けているという印象はなく、山本由伸ら投手陣の良いオリックスもここに絡んでくるでしょう。

 

 交流戦はリーグで一人勝ちという状況もあり得ます。セ、パともに交流戦をどう戦い抜くか、まだまだペナントの行方はわかりません。

 

 最後に高校野球の話を。コーチを務める立教新座高、春の埼玉県大会は15年ぶりにベスト8まで進出しました。そこで上尾高に2対5で敗れたんですが、ここは状況次第では勝てるゲームでした。ベスト8に入ったことで夏のシード権もとれました。夏に向けて、より一層、頑張ってもらいたいですね。

 

 春の大会ではこんなシーンがありました。4打席4三振の選手に代わって9回に3年生が代打に出ました。その3年生がタイムリーヒットを打って、一塁ベース上でガッツポーズしたんです。それを見て「うちの学校はまだまだ強くなるな」と思ったものです。下からの突き上げでレギュラーを外れた3年が、腐ることなく代打で結果を出した。これはチームに良い刺激なります。

 

 高校生にはいつも「3年間、実際には2年半はあっという間だぞ」と言っています。しかも1年は覚えることが山ほどあり、3年は進路を考える時期でもあります。となると2年生のうちしかのびのびと野球はできない。でも夏の大会が終わったら新チームで最上級生ですよ。となるとのびのびできる2年生の期間もわずか2カ月、3カ月です。本当にあっという間だから悔いのないように日々、過ごしてほしいですね。だからこそケガだけは注意が必要です。焦ってケガをしたら、大事な時期を棒に振ることになりますから。

 

 あと去年は夏の大会が変則開催でした。今年は特に保護者の人たちの前で大会をやらしてあげたいですね。高校球児は昨日今日野球を始めたわけではなく、小学校のころからやっていて、それこそお弁当だ、練習の手伝いだ、と親子揃って頑張ってきた。その集大成が夏の大会です。勝って喜び、負けて悔しくて泣く。それを親子で共有してもらいたい。今年は是非、例年どおりの形で開催できるように祈っています。今月はこのあたりで。皆さん、お体に気をつけてお過ごしください。

 

 

<鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>
1959年7月6日、奈良県出身。天理高では大型ショートとして鳴らし甲子園に4度出場。早稲田大学への進学が内定していたが、77年秋のドラフトで巨人が5位指名。長嶋茂雄監督(当時)が直接、説得に乗り出し、その熱意に打たれてプロ入りを決意。5年目の82年から一軍に定着し、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。92年に現役引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチ、07年、BCリーグ・富山の初代監督を務めた。10年~11年は埼玉西武、12年~14年は東北楽天、15年~16年は福岡ソフトバンクでコーチ。17年、四国アイランドリーグplus徳島の野手コーチを務め、独立リーグ日本一に輝いた。同年夏、血液の難病・骨髄異形成症候群と診断され、徳島を退団後に治療に専念。臍帯血移植などを受け、経過も良好。18年秋に医師から仕事の再開を許可された。18年10月から立教新座高(埼玉)の野球部臨時コーチを務める。NPBでは選手、コーチとしてリーグ優勝14回、日本一に7度輝いている。19年6月に開始したTwitter(@Yasutomo_76)も絶賛つぶやき中。2021年4月、2020年東京五輪の聖火ランナー(奈良県)を務め、無事"完走"を果たした。


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