「うれしいというより、ホッとしたというのが正直なところ。
 特に2戦目の韓国戦、みなさんご覧になられたと思いますけど、野球ってこんなに苦しいものなのかと。終わってみて野球ってこんなに楽しいものかと。選手には感謝、感謝、謝謝(シェイシェイ)と言いたい気持ちです」
 北京五輪の出場切符を手に入れた野球日本代表・星野仙一監督は帰国記者会見でそう語った。

「負けて来年3月(の世界最終予選)に回ったら、どうしようかと思っていた……」
 これが本音だろう。
 野球人気の低下が叫ばれるなか、韓国戦のテレビ視聴率は関東地区で平均23.7パーセント、関西地区で平均28.9パーセント。台湾戦は関東地区で27.4パーセント、関西地区で33.3パーセントと軒並み高い数字を記録した。

「負けても明日がある」というレギュラーシーズンと違い、国際大会は基本的に「明日なき戦い」である。
 ハラハラ、ドキドキ、ワクワク――。これがスポーツ中継において、視聴者がチャンネルを選択する3要素だと私は考えているが、台湾での北京五輪アジア予選は、このすべてが含まれていた。

 3試合を通じて、星野監督は一度もグラウンドコートに袖を通さなかった。それにはこういう理由があった。
「選手は体を冷やしてはいけませんが、我々コーチはコートなんか着るなと。コートを着るなんて選手に失礼だぞと。古いものの考え方かもしれませんが、我々も戦っているんだと選手に見せなくてはいけないという意識がありました」

 六大学野球時代からの盟友である田淵幸一(ヘッド兼打撃担当)と山本浩二(守備走塁担当)をコーチに呼んだ。口さがない者は“お友達内閣”と揶揄した。
「仲良しトリオといわれて結構だ。一度きりの人生、ひがまれて幸せだ」
 指揮官に迷いはなかった。投手担当の大野豊も含め、コーチ陣のチームワークも抜群だった。

 それ以上に感心したのが星野監督のベテラン操縦術である。
 国際試合の経験が豊富な宮本慎也(東京ヤクルト)をチームキャプテン、上原浩治(巨人)を投手キャプテンに指名し、コーチ並みの責任と権限を与えた。宮本にいたってはベンチ内で星野監督の隣に陣取り、守りのフォーメーションまで指示していた。

 格下のフィリピンに10対0と大勝した夜、宮本は選手たちをホテルの一室に集め、こう叱ったという。
「オマエら、こんな試合やってちゃ、明日(の韓国戦に)勝てないぞ!」
 これが効いたと星野監督は語っていた。

「本当はわれわれが言わなければならないことを彼が言ってくれたんです。彼は完璧にスタッフの一員ですよ」
 記者会見でも星野監督は選手側のリーダーである宮本や上原を何度も持ち上げていた。星野ジャパンの最大の強みは「絆」である。

<この原稿は07年12月23日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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