「母屋ではかゆをすすっているのに、離れではすき焼きを食っておる」。うまいことを言うものだと、思わずひざを叩いた記憶がある。

 

 かつて国会でそう答弁したのは、“塩じい”こと故・塩川正十郎だ。構造改革を旗印に2001年4月に発足した小泉純一郎内閣に財務相として入閣し、ブラックボックス化していた財政の“見える化”に尽力した。

 

 言うまでもなく「母屋」とは一般会計、「離れ」とは特別会計のことである。

 

 当時、82兆円だった一般会計に対し、特別会計は300兆円を超えると見られていた。だが後者は国会のチェックを免れるため、国民の目にさらされることがない。まさに“離れのすき焼き”状態になっていたのである。食べ物のたとえはわかりやすい。塩じいは庶民感情をよく理解していた。

 

 国民は怒る。なぜ自分たちは“かゆ”なのに、上級国民は“すき焼き”なのかと。もっとも、一般会計と特別会計の間には繰り入れがあり、“特会イコール無駄金”という単純な図式ではないのだが、小泉改革を推進する上で塩じいの絶妙の比喩がテコの役割を果たしたことは間違いあるまい。

 

 東京五輪の観客上限が5者協議により1万人に決定した。だが開会式では2万人程度の入場者が想定されている。つまり、もう1万人はオリンピックファミリーと呼ばれるIOC関係者やスポンサー関係者ということになる。元財務事務次官である武藤敏郎事務総長の説明によると「IOCやクライアントは運営関係者で、観客ではない。1万人とは別途という考え」。つまり“特別枠”ということだ。

 

 問題はその数である。せめて数百人、多く見積もっても1000人か2000人程度なら目くじら立てる話ではないのかもしれない。だが、コロナ禍の非常時、国民の行動が制限され、五輪においては“一般枠”の人々が再抽選を余儀なくされる中、約1万人もの来賓が居並ぶ風景はやはり奇観だ。これこそ一般会計と特別会計のアナロジーに他ならない。

 

 もっとも組織委に対しては同情すべき点もある。外国の要人まで来るとなると、セキュリティーの都合もあり、一存で枠は決められないのではないか。IOCの「聖域」もあるのだろう。いずれにしても確認しておかなければならないのは正規のチケットホルダーであれ、主催者側の人間であれ、ウイルスは人を選ばず、医療資源には限りがあるということ。長い夏になりそうだ。

 

<この原稿は21年6月23日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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