アテネ五輪で日本人女子自由形初となる金メダルを獲得した柴田亜衣さん。その快挙は、北島康介さんの二冠に勝るとも劣らないほど大きな話題になった。「天国と地獄を味わった」というその競技人生を振り返りながら、当HP編集長・二宮清純と勝負哲学について語り合う。

 

二宮清純: 競泳の自由形はパワーが必要で、筋肉や骨格の観点から日本人の活躍は難しいとされています。それゆえに柴田さんの金メダル獲得は、快挙でした。でも、失礼ながら柴田さんは、そこまで将来を嘱望されてはいなかったと聞きました。

柴田亜衣: 全く期待されていなかったと思います。高校時代は3年のインターハイ5位(800メートル自由形)が最高でしたから。

 

二宮: そうすると大学時代(鹿屋体育大学)で急激に伸びたのですか。

柴田: そうですね。もともと大学進学は考えていなかったのですが、スイミングスクールの先生が鹿屋体育大学を勧めてくれたんです。のどかな環境だったおかげで、泳ぐことに集中できました。

 

二宮: 3歳から水泳を始められたそうですが、当初から五輪出場が夢だったんですか?

柴田: 小学4年のときに、岩崎恭子さんの金メダル(バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎ)を見て、素直に「かっこいいな。いつか行けたらいいな」とは思いました。でも、あくまで漠然としたもので、まさか実現するとは思ってもいませんでした。

 

二宮: 鹿屋体大で柴田さんを指導したのは、田中孝夫監督でした。練習は厳しかったですか。

柴田: 厳しさで言えば、高校時代のスイミングスクールのほうが厳しかったですね。田中先生は、大学生である私たちを大人として見てくれていました。なので、体調を崩して休みたいと言えば、それをすんなり受け入れてくれるような感じでした。

 

二宮: パンパシフィック水泳選手権に初出場したのが、大学2年の2002年。翌年の日本選手権では400メートル4位、800メートル3位(共に自由形)で世界水泳選手権の出場権を獲得しました。このあたりから、頭角を現すようになります。そして、04年の日本選手権で400メートル・800メートルで共に2位になり、アテネ五輪の出場権をつかみました。この時期、力をつけたのには何か理由があったのでしょうか。

柴田: 明確な何かがあったわけではないのですが、意識が変わったことが大きかった。02年のパンパシは、国内(神奈川県横浜市)で開催されたこともあってほとんど緊張もなく、初めての日本代表を楽しむことができました。「もう一回日本代表に入りたい」と思って、それで出場した03年の世界選手権が大きな転機になりました。

 

二宮: 同学年の北島康介さんが、100メートルと200メートル共に世界新記録で金メダルを取った大会ですね。

柴田: そうです。ところが私は、すべて予選落ちでした。そのときに北島くんやほかの選手たちが活躍する姿を見て、ただ楽しもうと思っていただけの自分が恥ずかしくなったのです。やはり、日本代表になったからには、世界の人たちと勝負することを目標にしなければいけない。それで、「次の世界大会こそ決勝に残ろう」と目標を定めました。

 

二宮: 結果として、それがアテネ五輪だったと。当然、田中監督にも意思を伝えたわけですよね?

柴田: はい。でも、先生には「今のままの柴田じゃ行けない」とはっきり言われました。「五輪に出場できるか、どこか故障してしまうか、二者択一のような練習になるがどうする?」と聞かれたので、「覚悟はあります」と答えました。

 

二宮: 柴田さんの中のスイッチが“オン”になった瞬間ですね。練習はどんなふうに変化したのでしょう?

柴田: いろいろ変わりましたが、例えばアメリカで行った高地トレーニングでの泳ぐ距離が大幅に増えました。それまでは一回の練習で7000メートル程度でしたが、それが9000~1万メートルまで増えました。

 

二宮: それはきついですね。練習によって心肺機能が高まった感覚はありましたか。

柴田: 平地に下りてきてレースをすると、「調子がいいな」と感じることが多くなったので、効果は大きかったんだと思います。

 

(詳しいインタビューは7月1日発売の『第三文明』2021年8月号をぜひご覧ください)

 

柴田亜衣(しばた・あい)プロフィール>

1982年、福岡県太宰府市出身。3歳のころからスイミングスクールで水泳を始め、徳島県立穴吹高校を経て、鹿屋体育大学に進学。大学4年時の2004年、日本選手権で派遣標準記録を突破し、同年のアテネ五輪女子400メートル、800メートル自由形に出場。800メートルでは日本人初となる女子自由形の金メダルを獲得した。05年、鹿屋体育大学大学院修士課程へ進学するとともに株式会社デサントに入社。その後、世界水泳選手権(同年)の女子400メートル自由形で銀メダル、パンパシフィック水泳選手権(06年)の女子400メートル自由形で金メダルを獲得。08年の北京五輪出場後、現役を引退した。現在は、講演会やイベントなど幅広くスポーツの振興・普及活動を行う傍ら、オリジナルの指導内容で水泳教室を実施している。


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