日本人で唯一、パラリンピック殿堂入りを果たしている日本パラリンピック委員会の河合純一委員長。そんなレジェンドは、今夏の東京パラリンピック開催に向けて奮闘を続けている。果たしてパラリンピックの開催は、私たちに何をもたらすのか。当HP編集長・二宮清純が聞く。

 

二宮清純: 新型コロナウイルスの感染拡大により、昨年3月に東京パラリンピックの1年延期が決まりました。河合さんはその2カ月前にJPC(日本パラリンピック委員会)の委員長に就任したばかりでしたが、当時どのように受け止められましたか。

河合純一: あの状況下では仕方がないことで、考えられる最善の策だったと思います。中止というシナリオも頭をよぎったので、そういう意味ではありがたい決断だと感じました。

 

二宮: 河合さんはバルセロナからロンドンまで六大会連続でパラリンピックに出場し、競泳で21個のメダルを獲得されました。その経験から選手たちにアドバイスをすることも多いと思います。延期が決まったとき、選手たちにはどんな言葉をかけたのでしょう?

河合: 自分たちにコントロールできないものが延期の理由ですから、あまり深刻になり過ぎず、少しでもポジティブに捉えられるように声掛けをしていきました。「今できうるベスト、あるいはベターを探りながらやっていこう」と。

 

二宮: パラリンピックは、よく「共生社会の実現」という文脈でその意義が語られます。河合さんは共生社会のあり方について、「ミックスジュース型ではなく、フルーツポンチ型であるべきだ」という話をされますよね。

河合: ええ。同じ共生社会でも、ミックスジュースのように元の素材をすり潰した姿ではなく、フルーツポンチのようにそれぞれの形や個性が生きたまま混ぜ合わさっている姿にしていきたいという意味です。中に入っているものは同じでも、そのありようは全く異なります。互いの違いを認め合い、そのままの姿で輝ける社会を目指したいですね。

 

二宮: 東京パラリンピックの開催が決まってから、日本でも共生社会の実現に向けてさまざまな取り組みが進められて来ました。河合さんがパラリンピックに出場し始めたころと比較すると、状況はよくなってきましたか。

河合: もちろん、よくなってきています。ただ、よくなってきたからこそ、目につくようになった課題もあります。例えば、バリアフリーを含め公共交通機関の対応はだいぶ改善されましたが、まだ駅のホームドア設置は十分とはいえません。

 

二宮: 私も驚きましたが、視覚障がい者の3分の1が、ホームからの転落を経験しているんですね。

河合: はい。ただ、私は報じ方に違和感を覚えるんです。よく、ホームドア設置の理由に視覚障がい者が挙げられるのですが、酩酊などによってホームから線路に転落するケースのほうがむしろ多いのです。

 

二宮: ホームドアの設置は、何も視覚障がい者のためだけではないということですよね。

河合: もちろん、それによって視覚障がい者が助かることもあります。でも、それを「視覚障がい者のため」という文脈で語られると、障がい者への蔑視や批判につながることもある。朝のラッシュ時などを考えれば、誰にでも転落の可能性はあるわけで、ユニバーサル(万人向け)の措置だということに気づいてほしいと思います。

 

二宮: なるほど。大事な視点ですね。日本は今、超高齢社会を迎えています。バリアフリーなどの“暮らしやすさ”を求めることは高齢化社会と親和性があります。私もそうでしたが、若いときは自分が高齢者になることをなかなか想像できないものです。でも、還暦すぎると途端に体力の衰えを感じるようになる(苦笑)。それで初めて“暮らしやすさ”への意識が高まりました。

河合: 私は、バリアフリーとかユニバーサルデザインというのは、“未来の自分たちへの投資”だと思っています。現時点で何らかの不自由さを感じている一部の人のためだけではなく、未来を生きる人たちみんなへの投資だ――そんなふうに発想を変えていくことが大事ではないでしょうか。

 

二宮: 現在、東京五輪・パラリンピックの開催については多様な視点があります。河合さんは立場上、ご苦労も多いと思いますが、現時点でJPCとしては準備を進めるしかないですよね。

河合: もちろんです。それが私たちの仕事ですから。選手たちが本番で最高のパフォーマンスを発揮するためには、どうしたらいいか。感染対策も念頭に入れて、日夜議論を交わしています。

 

二宮: その感染対策ですが、現状で何か課題になっていることはありますか。

河合: 感染対策は、基本的にフィジカルディスタンス(身体的距離)の確保といったような個人の責任において行うものが多い。ところが、目が不自由な選手が食事をとるときに、一人でフィジカルディスタンスを確保するのは難しい。また、人との接触を減らすために大会のスタッフを削減しようという動きもありますが、パラリンピアンにとってサポートスタッフは欠かせない存在であり、課題になっていますね。

 

二宮: 大事な部分ですね。一律のカットではなく、削れる部分と必要な部分との仕分けをしっかりやる必要があると?

河合: そのとおりです。例えば、不特定多数のスタッフが入れ代わり立ち代わり動くのではなく、ある程度人物や役割を固定することも考えています。そうすれば人数も絞れますし、選手にとっても安心でしょう。

 

(詳しいインタビューは6月1日発売の『第三文明』2021年7月号をぜひご覧ください)

 

河合純一(かわい・じゅんいち)プロフィール>

1975年、静岡県浜松市出身。先天性ブドウ膜欠損症のため、生まれつき左目の視力はなく、15歳のときに右目の視力も失い、全盲となる。筑波大学附属盲学校高等部を経て、早稲田大学教育学部に入学し、教員免許を取得。卒業後は、全盲では初の中学校教師として母校に赴任した。水泳は5歳から始め、17歳のときにバルセロナパラリンピック(92年)の競泳に出場。以来、ロンドン(2012年)まで6大会連続でパラリンピック出場を果たし、金5個、銀9個、銅7個の合計21個ものメダルを獲得した。03年にパラリンピック出場選手による選手会「日本パラリンピアンズ協会」を設立して会長に就任。16年、日本人として初めて国際パラリンピック委員会(IPC)の殿堂入りを果たす。20年1月から日本パラリンピック委員会委員長に就く。


◎バックナンバーはこちらから