五輪史上初のトランスジェンダー選手として重量挙げ女子87キロ超級に出場したニュージーランドのローレル・ハバードは3回続けてスナッチに失敗し、記録なしに終わった。

 

 周知のようにハバードは10代から男子として大会に出場していたが、23歳でいったん競技を離れた。2013年、性別適合手術を受け、トランス女性として競技を再開した。

 

 IOCは2015年11月に「トランスジェンダー・ガイドライン」を公表し、それをクリアしたハバードには五輪への道が開けた。

 

 ちなみにガイドラインでは「女性から男性へ移行した選手の参加」に関し、条件は設けられていない。参加資格の停止処分も含め、厳しい条件が定められているのは「男性から女性へ移行した選手」に対してである。

 

 IOCが公表した「トランスジェンダーの選手が競技スポーツから排除されないよう、可能な限り出場機会を確保しなければならない」との方針には注意が必要だ。オリンピック憲章は性的指向による差別を禁じている。ならば「可能な限り」という文言は必要あるまい。そのあとには「最も重要なのは公正な競争を担保すること」との一文が続く。

 

 ここで疑問にぶち当たる。IOCは性の自己決定権やスポーツ権も含めた人権と競技的公平性のどちらを重視しようというのか。おそらく本音は後者なのだろうが、かといって自らが依って立つオリンピック憲章をないがしろにするわけにもいかない。究極の二律相反。先のガイドラインには腐心の跡が窺える。

 

 近代競技スポーツは「男」と「女」の「性別二元制」をベースに形成れてきた。“近代五輪の父”であるピエール・ド・クーベルタン男爵は女性のスポーツ参加には否定的で、「(女性の役割は男性の)勝者に冠を授けることだ」などと述べている。初めて女子が五輪に参加した1900年パリ大会、選手数は男性975人に対し、女性はわずか22人だった。

 

 それから120年以上がたち、ジェンダーの多様性と尊重が高らかに謳われる今、「男」か「女」かといった原初的な分類に基づく旧態依然とした枠組みは、もはや限界に達しつつあると言わざるを得ない。ハバードが五輪に投じた一石の波紋はどこまで広がるのか。またIOCは性分化疾患の選手に対する救済策も早急に示す必要がある。

 

<この原稿は21年8月4日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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