30日、東京オリンピックフェンシング競技の男子エペ団体決勝が千葉・幕張メッセBホールで行われ、日本がROC(ロシアオリンピック委員会)を45-36で下した。日本はフェンシングで今大会初のメダル獲得。同種目としては初の表彰台だった。同日に行われた3位決定戦は韓国が中国を45-41で破り、銅メダルを獲得した。

 

 日本の快進撃は最後まで衰えず、表彰台の頂点に辿り着いた。自力では出場権を獲得できず、開催国枠の出場なったチームが、幕張のコートを華麗に舞った。

 

 個人世界ランキング4位の山田優(自衛隊)、10位の見延和靖(ネクサス)、15位の宇山賢(三菱電機)、21位の加納虹輝(JAL)の4人で団体戦に挑んだ。フルーレが頭と腕を除いた胴体、サーブルが上半身を有効面とするのに対し、エペは全身だ。攻撃権が存在せず、一進一退の攻防が繰り広げられる。フェンシングの中でも特に中世の決闘を連想させる種目である。団体戦は3対3の総当たり戦を行う。3分×9試合を行い、合計45点を先取するか9試合の合計点が高いチームが勝ちとなる。

 

 世界ランキング8位の日本は準々決勝で同1位のフランスと対戦した。今大会の個人戦で金メダルを獲得したロマン・カノヌを擁するリオデジャネイロオリンピック王者だ。宇山、山田、加納で臨んだ日本は8試合終了時点で36-38とリードを許していたが、最後に登場した加納がリオオリンピックメンバーのヤニック・ボレルに9-6。45-44の逆転劇で準決勝に進んだ。

 

 日本はオリンピックで2008年北京大会でフルーレ個人、12年ロンドン大会ではフルーレ団体で銀メダルを獲得していたが、エペでの表彰台はまだなかった。未踏の領域へ。世界ランキング5位の韓国との準決勝では宇山、加納、山田の3人が序盤で圧倒。11-1で中盤以降を迎えた。リオオリンピック王者のパク・サンヨンを中心に盛り返してきた韓国に対し、序盤の貯金を生かして45-38で逃げ切った。

 

 決勝の相手はROC。ロシアとしては世界ランキング7位につけており、8位の日本より個人世界ランキング2位のセルゲイ・ビダがいる。決勝はビダ、世界ランキング30位のグラズコフ、同117位のパベル・スーホフで日本を迎え撃った。トップバッターは山田。日本のエースがビダ相手に5-4とリードして2番手の加納にバトンを渡した。

 

 トーナメント初戦、準々決勝と9試合目を任され、逆転勝ちを演出した加納は、ここまでの好調を持続していた。グラズコフに3-1とし、リードを広げて宇山へ。初戦のアメリカ戦で見延と代わって途中出場してからラッキーボーイ的な活躍を見せている宇山は、5-6と差こそ詰められたものの流れは相手に与えず次に繋いだ。

 

 宇山が輝きを見せたのは自身の2ターン目からだ。5試合目に登場した190cmの長身フェンサーは、世界ランク2位のビダ相手に一歩も退かない。下から潜り込ませるように剣を突いて先制。5連続得点で引き離した。ROCのエースに意地を見せられ、追い上げを食らったが6-4でその差を広げた。7試合目にも、焦る相手から着実に得点を奪い、駆け引きの巧さを存分に発揮した。3試合で19得点。日本に計3点の貯金をつくった。

 

 山田がオリンピック3大会出場のスーホフに3-4とされたが、最終試合を残して37-33と4点リード。勝敗の行方はチーム最年少23歳の加納に託された。4点の貯金が心の余裕を生んでいるのか、加納はビダ相手に着実に得点を重ねる。最後は接近戦で相手の胸を突き、日本の緑のランプが灯る。45-36――。この瞬間、日本の優勝が確定した。コートの上で歓喜の輪ができあがった。

 

 日本のエペは見延が世界ランキング1位(18‐19シーズン)に立ち、19年にはW杯団体戦を制するなど着実に力を付けてきた。日本のフェンサーたちは自らの剣で、自国開催のオリンピックで新たな歴史を打ち立てた。

 

(文/杉浦泰介)

 

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FORZA SHIKOKU 宇山賢(第1回第2回第3回最終回) 2017年4月掲載