東京オリンピック自転車は8日、女子オムニアムが行われ、梶原悠未(筑波大大学院)が銀メダルを獲得した。ジェニファー・バレンテ(アメリカ)が金メダル、キルステン・ウィルト(オランダ)が銅メダル。

 

 20年世界選手権オムニアム優勝の梶原は、ここ東京でも金メダルの期待が高かった。梶原は午前中に行われたスクラッチで38点、テンポレースで32点、エリミネーションレース38点の計108点、全体2位でオムニアム最後のポイントレースに臨んだ。


 ポイントレースは10周ごとに設定されたスプリント周回の通過順位で1位から4位(5点、3点、2点、1点)までポイントが与えられ、集団を1周遅れ=ラップした選手には20ポイントが与えられる。梶原はスタート直後、全体トップのバレンテをマークしながら、ゆったりとレースを進めた。

 

 最初のスプリントをバレンテがとり、梶原は5番手あたりの通過で無得点。さらに2回目のスプリントで梶原は後ろの集団から抜け出せず、ポイント獲得はならなかった。2回のスプリントを終えたところで、アマリエ・ディデリクセン(デンマーク)がラップを狙い、集団を抜け出した。この時点で92点のディデリクセンだが、ラップポイント20点とスプリント得点5点を得れば、梶原に一気に接近することになる。結局、3回目のスプリントはディデリクセンがとり、梶原は3位で2ポイントを追加。バレンテもポイントを獲得し、梶原は差を詰められなかった。

 

 その後、ディデリクセンが逃げ続けるも、徐々に集団に飲み込まれ、4度目のスプリントでは梶原は6番手あたりで通過。5回目のスプリント直後、トップのバレンテが落車したものの、規定周回内に集団へと復帰した。

 

 レースも中盤を過ぎ、残るスプリント周回はあと3回。メダル争いには関係のない選手のスプリントポイント獲得にはバレンテ、梶原ら上位陣は我関せず。残り16周、いよいよ3つにバラけていた集団はひとつになり、最後の戦いが始まった。

 

 ひとかたまりの集団は1周18秒のハイペースでラップを重ね、梶原は後ろから5番手あたりで上位陣の出方を伺っていた。残り2つとなったスプリントでも梶原は動かず、最後に足を温存する作戦。だが、残り8周で梶原は前車と接触し、落車。それでもコースに復帰し、金メダルを目指し、ペダルを踏み込んだ。

 

 残り5周、ここで梶原は集団先頭に追いつき、先頭で引っ張るのは現在、ポイントトップのバレンテ。残り3周、2周と後続も一気にペースをあげ、最後のジャンが鳴り、ラスト1周。梶原はペースを上げられず、ポイント圏外へ。バレンテが2位でフィニッシュし、金メダルを確定した。ウィルトが最後、追い込みポイントレースで計18点を獲得したが、梶原が2ポイント差で逃げ切った。結局、ポイントレースで梶原が得たのはわずか2点だったが、メダル圏内で最終レースに駒を進め、冷静にポイントを計算しながら走ったことが奏功した。

 

 コーチを務める母との二人三脚で五輪の檜舞台で銀メダルを胸に飾った梶原は、猛特訓の日々をこう振り返った。


「コーチである母とトレーニングをしてきた毎日で、その成果でメダルをとれたことがとても嬉しい。でも優勝を目指していたので、悔しい気持ちもあります。ポイントレースで落車をしたけど切り替えてレースに戻ることができました。最後は運も味方してくれたのかなと思います。日本人女子が自転車で世界に通用するということが見せられてと思うので、これから競技人口が増え、どんどんと日本がレベルアップしていけたらいいなと思っています」

 

 

(文/SC編集部・西崎)