☆再掲☆宮本葉月(近畿大学水上競技部/高知SC/高知県高知市出身)第4回「“3度目の正直”で獲ったインターハイ」
「優勝しか狙っていなかった」
そう宮本葉月(近畿大学水上競技部/高知SC)は2016年夏に出場した日本高等学校選手権大会(インターハイ)を振り返った。
(2020年8月の原稿を再掲載しています)
結果は3m飛板飛び込みで2位、高飛び込み4位だった。1年生ながら「優勝しか狙っていなかった」という宮本からすれば「めちゃめちゃ悔しかった」記憶でしかない。
中でも飛板飛び込みは、9本目の試技終了時点でトップに立っていながら逆転を許してしまった。ラストの10本目を飛ぶ前、瓶子勇治郎コーチから「優勝を決めてこい」と背中を押された。
しかし、宮本のスイッチは気合いにではなく焦りに入った。
「それまで言われてこなかったことだから、“えっ”と思い、順位を見てしまいました。“今、1位や。点差もない。失敗したら負ける”。めっちゃ緊張してしまい、急にどうしようと慌ててしまったんです」
すると涙が溢れてきた。飛び込み台へ向かうまでに心の揺れを整えることができぬまま、彼女は飛ぶこととなった。当然、10本目のダイブは失敗に終わった。表彰台の真ん中には、直後に飛んだ同学年の三上紗也可(米子南)が立ったのだった。
夏のリベンジは夏のうちに。 宮本は数日後の全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季大会に出場した。「次のインターハイよりも、まずはJO(JOCジュニアオリンピックカップ)で“絶対負けない”と思いました」。16~18歳の部3m飛板飛び込みで三上を抑えて優勝してみせた。
秋の日本選手権大会は3m飛板飛び込みで3年ぶりの4位に入り、高飛び込みでは6位になった。1m飛板飛び込みでは3位に食い込み、日本選手権初の表彰台に上がった。3種目で入賞を果たしたのだ。
「1mはあまり練習していなかったので、うれしい半面、ビックリしました。でも3mでもっといい結果を出したいと思っていたから、悔しい気持ちもありました」
17年、2年時のインターハイは高飛び込みが2位に入ったものの、3m飛板飛び込み7位だった。
「板が合わなくて、全然うまく飛べませんでした。最後まで調整をきちんとできずダメだった。悔しいよりも悲しい。自信をなくしましたね」
彼女の思いとは別に、それでも試合は続く。「すぐにJOがあったので、気持ちを切り替えた」。JOCジュニアオリンピック夏季大会に出て、16~18歳の部の3m飛板飛び込みで2位に入り、12歳~18歳までが出場できるシンクロナイズドダイビング3m飛板飛び込みでは、三上と組んで優勝した。
高校日本一を後押しした夢占い
「表彰台に立つ喜びを再確認しました。その後の練習では“もう表彰式を遠くから見たくない”と思い、より考えて練習に取り組むようになりました」
失った自信を徐々に取り戻していった。秋の国民体育大会では少年女子の部の3m飛板飛び込みで3位入賞に加え、高飛び込みで初優勝した。
「全然緊張しないで飛んでいたら、気が付くと優勝していた」
無欲だけが優勝の要因ではない。前年夏より、難易率の高い技である後ろ踏み切り前飛び込み3回半抱え型(407C)に取り組んでいた。実は中学生時にチャレンジたした技だが、断念していたという。
「当時はうまくいかず腹打ちばかりしていたので、そこから飛ぶのをやめていたんです。自分的には『一生飛ばない』と口にしていた技でした。でも瓶子コーチは私が負けず嫌いなことを知っているから、『後輩に飛ばす。このままだと負けるぞ』とわざとらしく言ってきたんです。それにイラッとして、“私も飛んだるわ”と、やったらできるようになりました」
小学生の頃から宮本を指導する瓶子コーチが彼女の性格をうまく利用したかたちだ。宮本は“もっと上手くなりたい”“もっと強くなりたい“と難易率の高い技に挑み、国体での初タイトルを獲得したのだった。
勢いに乗る宮本は日本選手権では1m飛板飛び込みと、シンクロ3m飛板飛び込み(三上とのペア)で2冠を達成。3m飛板飛び込みは2位、高飛び込みでは4位と、いずれも自己最高の成績を収めた。
「手応えも大きく、また来年も頑張ろうという気持ちになりました」
翌年の2月に行われた国際大会派遣選手選考会、宮本は三上と組んだシンクロ3m板飛び込みで1位に入ったものの、3m飛板飛び込みでは標準記録に届かなかったため、即時内定とはならなかった。18年夏にインドネシア・ジャカルタで行われるアジア競技大会の代表発表まで過ごした時間を「不安だった」と振り返る。のちに瓶子コーチから吉報を知らされると、「すごくうれしかった」と安堵したという。
ジャカルタに飛び立つ前に、彼女には獲るべきタイトルが残されていた。それはインターハイだ。「優勝を狙っていた」という1年時は、3m飛板飛び込みで逆転負け。2年時は同種目で7位と表彰台にも上がれなかった。「1、2年生で優勝できず、“絶対優勝したい”と思っていた」。これまで以上に優勝候補として期待される身となり、プレッシャーの大きさも過去と比ではなかった。
大会初日の高飛び込みは2年連続での2位に入った。その2日後の3m飛板飛び込みが宮本の本命種目だ。彼女はプレッシャーに苛まれ、前夜には逆転負けする悪夢を見た。
「私は落ち込んで“もう無理や”と思ったんですが、1学年下のチームメイトが、『夢占いをしたら、現実では逆になる』と教えてくれました。それを聞いて私も“大丈夫や”と思えた。ナイスアドバイスでしたね」
夢占いの結果は現実となった。8本目の試技で逆転を許し、2位に落ちた。366.20点はトップとは16.55点差。9本目で、その差を7.25点に詰める。逆転Vには53.65点以上が必要だった。前逆宙返り2回半蝦型(305B)をミスなく成功し、70.50の高得点をマーク。最終演技でトップに立ち、インターハイ初優勝を決めた。
「めっちゃうれしかった。中学生の時と一緒で“やっと”という感じです」
中学でも最終学年で手にした全国タイトル。インターハイも“3度目の正直”で、喉から手が出るほど欲しかったタイトルを掴み取った。“高校日本一”の称号を手にし、日の丸を背負う戦いへと旅立った。
(最終回につづく)
<宮本葉月(みやもと・はづき)プロフィール>
2000年12月25日、高知県高知市出身。小学3年で飛び込み競技を始める。土佐女子中・高を経て、近畿大学に進学。全国中学校体育大会、日本高等学校選手権大会、日本学生選手権大会と各カテゴリーの飛板飛び込みを制した。高校2年時には1m板飛び込みと、シンクロナイズド3m板飛び込みで日本選手権を制覇。1m板飛び込みは現在まで3連覇中。18年アジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)、19年世界選手権大会(韓国・光州)に日本代表として出場した。20年2月、国際大会派遣選手大会のシンクロナイズドダイビング3m板飛び込みで1位。東京オリンピックの選考会となるW杯出場を決めた。身長152cm。
(文/杉浦泰介、写真/近畿大学提供)