それは、滋味あふれる光景であった。場所は札幌ドームの3塁側ベンチ(この球場は3塁側がホームチームなんだそうですね)。
 ベンチに深々と座った北海道日本ハムの平野謙コーチが、まだ試合中だというのに満面の笑みを浮かべて何やら話している。左腕を相手の肩にまわして、抱きかかえるようにして。
 肩を抱かれているのはダルビッシュ有である。平野コーチは、天井を向いたり、何やら指さしたりしながら、実に表情豊かに話し続ける。ダルビッシュは、うん、うん、と何度もうなづく。平野コーチは、ついには歯をむき出して大笑いした――。
 10月18日、北海道日本ハム−千葉ロッテのクライマックスシリーズ第5戦のことである。2勝2敗で迎えた最終戦は、勝った方が日本シリーズに進出するという大一番となった。しかも、先発は成瀬善久とダルビッシュ。今季に限っていえば、日本で最も打ちにくい2人の投手の対戦となったといっていい。

 結果的には、防御率1位投手の成瀬が、今季初めての崩れ方をして4失点、4回途中降板となった。ただし、ダルビッシュも5回から疲れが見え始め、明らかなボール球が目立つようになる。6−1とリードを広げた7回表も、先頭オーティズに球道定まらず、いきなり0−3。1−3からライトフライに打ち取るも、続く大松尚逸にも0−2。結果的には大松もライトフライに倒れたが、アップアップであることに変わりはない。

 とはいえ、7回表2死無走者である。ここでトレイ・ヒルマン監督が決断する。ピッチャー交代。ダルビッシュを降ろして先発要員のグリンを投入したのである。名実ともに大エースの座についたダルビッシュがおさまるはずがない。まずマウンドの後方に逃げ、ベンチに下がる時にはボールを地面に投げつけた。

 冒頭のシーンは、その後展開された光景である。平野コーチが何を意図していたか、それは誰の目にも明らかだろう。監督、コーチ、選手が一体となったチームだからこそ、現出した場面に違いない。

 もう一つ、言っておきたいことがある。このシーンは、テレビ中継だからこそ見ることができた。球場の観客には、豆つぶほどにしか見えなかったはずだ。ここには、間違いなくテレビの力が発揮されている。

 この試合は面白かった。確かに成瀬は3回にセギノールにスリーランホームランを浴びて崩れたが、これは2−0からフルカウントまで粘った末の7球目を叩いたもの。見応えのある打席だった。打たれたのは、低目のチェンジアップ。決して悪い球ではない。大柄な外国人選手が時折見せる、低目を拾って大きなフォロースルーで運ぶ見事なバッティングだった。この打席に限ればセギノールは、ボストン・レッドソックスのオルティーズ並みの打者だったということだ。

 ところで、私はこの第5戦をものすごく楽しみにして観た。なんたって、ダルビッシュ対成瀬である。考えられる限り、最高の対決である。
 しかし、後で報道を見る限り、視聴率はかんばしくなかったようだ。それよりも驚いたのは、日本シリーズは日本プロ野球機構(NPB)の主催だが、クライマックスシリーズは、ホームチームの主催なのだそうです。だから、チームの担当者がテレビ局と交渉するんだとか。

 プレーオフ制度を導入するなら、NPBが主催するのが普通ではないのだろうか。本当に間違いだらけのクライマックスシリーズではある。
 民放とNHKのBSがダブったからとか、セ・リーグのクライマックスシリーズもあるからとか、様々な解説がなされていたが、果たしてそうだろうか。これで、クライマックスシリーズは数字がとれないとテレビ局が判断するとしたら、実にさびしいことだ。

 問題はクライマックスシリーズのシステムにある。中日の落合博満監督が正しく言い切ったように、セ・リーグの優勝チームは巨人なのである。中日は制度を利して日本シリーズに進んだ。巨人に3連勝して日本シリーズ出場が決まった時、井端弘和の「あまり嬉しくない」というコメントが紹介されていた。これをどんな文脈で言ったのかは知るよしもないが、中日は監督も選手も、クライマックスシリーズの制度としての欠陥をよく理解していたのではなかろうか。その上で、決められた制度に従って、日本一を目指した。日本シリーズの制覇は、案外、彼らのこの正確な認識から始まっているのかもしれない。

 まず、プレーオフ制度を、理にかなった、まっとうなものに変える。選手、監督にとっても、ファンにとっても、制度に疑問のないシリーズにしてテレビ中継を続ければ、おのずと視聴率も回復するはずだ。数字が悪いから縮小するという発想には、未来はない。質を上げればおのずと数字はあがるという志向にこそ明日は訪れる。

 それにしても、日本シリーズの中日の戦いぶりは見事でした。勝因は、第1戦の川上憲伸、第2戦の中田賢一の、鬼神のごとき投球につきる。川上はたしかにセギノールにスリーランを打たれて敗戦投手になったが、打たれた後、8回まで完全に封じたボールには迫力があった。あそこまできっちり決められると、やっぱり川上のカットボールってすごいなと感嘆するほかない。

 続く第2戦。あの日の中田は日本ハム打線でなくても打てないでしょう。ストレートの伸び、変化球のキレ、シーズンでも見たことのないような完璧な出来だった。この2試合で、第3戦以降、日本ハム打線は打てる気がしなくなったのではないだろうか。中継ぎ、抑えの重要性ばかりが強調される昨今、これほど先発投手の力を誇示できた試合は久しぶりのような気さえする。

 対する日本ハム。勝負は時の運である。あんなにいい中田に当たってしまったのだから仕方ない。それよりも残念なのは、このすばらしい「チーム」をもう2度と見られないことだ。ヒルマン監督が退任してメジャーの監督に転身するのはご承知の通り。それだけでなく、この5年間、いわば相棒として監督を支えた白井一幸ヘッドコーチも退団なのだそうな(日刊スポーツ11月2日付)。え〜? むしろ、そもそもなぜ、ポスト・ヒルマンは、白井ヘッドではなかったのでしょうね。

「チーム」とは、ひとつの目的のために集まった有能な人材の集合体である。仕事が終われば解散するのも、また「チーム」の宿命である。チーム・ヒルマンが解散するのは、その意味では自然なことでさえある。しかし、少なくとも成功した「チーム」が解散する場合、そこに継続という要素はあっていいのではないか。平野コーチとダルビッシュがベンチで繰りひろげた件のシーンは、今季限りの「チーム」の愛すべき記憶として、心にとどめておこう。

 そういえば、今シーズンの中日にも記憶に残るベンチのシーンがあった。細かい日時は忘れてしまったが、広島戦のことである。接戦だったが、終盤に新井貴浩の決勝打が出てカープが勝った試合である。打たれたのは鈴木義広だったと思う(記憶違いだったら、ごめんなさい)。

 チェンジになってベンチに戻ったところを、捕手の谷繁元信が怒鳴りつけているのである。谷繁は血相を変えているし、鈴木は顔面蒼白となっている。内容は想像がつく。新井はこう投げれば抑えられるとあれだけ言っただろ、なんであんな球投げるんだ、ボケ!(と言ったかどうかは知らないが、要はそういうことだ)。
 このシーンも、テレビで大きく映し出された。脱力系の平野コーチとは真逆の硬派な光景だが、これもまた、今の中日のチームとしての強さの理由を、端的に示していると言えるだろう。

 もひとつ、おまけをしておこう。まだ新庄剛志がサンフランシスコ・ジャイアンツに所属していた頃のこと。テレビが延々とベンチを映し出しているのを観たことがある。ダスティー・ベイカー監督が、試合そっちのけで新庄に何やらアドバイスをしているのである。新入りの日本人にメジャーの流儀を教えているんだな、と誰もが思ったことだろう。次の瞬間、グラウンドでは、エンドランが見事に的中していた。
 つまり、ベイカー監督は、新庄にアドバイスをするふりをして(アドバイスもしたのだろうけど)、エンドランのサインを出していたのだ。さすが名監督。カッコイイ! 思わず叫びました。

 この瞬間を、もし切り取れるとしたら、テレビしかないだろう。テレビは球場で観るのとはまた別次元の、野球のディテールを伝えることができる。自らの本来の力を放棄して、やたらと解説者やらゲストの数を増やして、十年一日のごとき言説と映像を垂れ流してばかりだから、気がついたら、誰もついてこなくなったということだ。なんとかしなさいよ、ほんとに。

 最後に、まさにテレビの人であり、かつ野球愛好家であった故・阿久悠さんの言葉を引用させていただきたい。阿久さんは、アナウンサーが選手と親しいとか、そんなことは聞きたくもないと批判をした後、こうおっしゃっている。

「放映を短縮するとか、やめてしまうとか、テレビ局が盛り上げていかないで誰が盛り上げるのですか。民主主義の三種の神器とはプロ野球と歌謡曲と映画といわれたものです。今日、発展をみたテレビ局の責任においてお返ししなければいけないことだとも思います」(スポーツニッポン 2007年1月31日付「THEインタビュー」より。インタビュアー・有本義明氏)

 この記事は、大切にとってある。さすがの名言だと、つくづく思う。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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