「そういえば、ここのマウンドにヒクソン・グレイシーが立ったことがありましたね」
 プロ野球日本シリーズ第4戦の試合前、バッティング練習を見ていたら、顔見知りの野球評論家(元選手)から、そう話しかけられた。ナゴヤドームに野球の取材に来ているのだが、格闘技の話題を振られることは少なくない。野球界には格闘技好きが結構、多いのだ。
 まず、プロボクシングの亀田騒動、続いて大晦日「Dynamite!!」の桜庭和志×船木誠勝戦はどうなるか、そして皆が一番熱心に尋ねてくるのが、ヒクソンについてである。
 そう、もう8年以上も前の話だが、ヒクソンは、ナゴヤドームで始球式のマウンドに上がったことがある。あれは、名古屋市総合体育館レインボーホールで開催された『PRIDE.5』の前日だから、1999年4月28日のことだ。中日×阪神戦の開始直前、柔術衣に身を包んだヒクソンがグラウンドに姿を現すとスタンドから大歓声が沸き上がった。当時、ドラゴンズに在籍していた山崎武司(現・楽天イーグルス)が「おお、ヒクソンだよ」と興奮気味に声を上げていたのを、よく憶えている。
 ブラジルで生まれ育ったヒクソンに、野球の経験は、まったくない。グローブを手にはめるのも、この時が初めてだった。珍しそうに硬球を手にし、関係者に教えられながらキャッチボールの練習をしていた。それでも異常に覚えが早い。マウンドに立ったヒクソンは、始球式でストライクボールを中村武志のミットに投げ込んだ。

 私に話しかけてきた彼は続けた。
「ヒクソン、来年に試合をするみたいですね。大丈夫なんですか、もう50歳近いでしょ。それに何年もリングに上がっていないし」
 ヒクソンは今月、48歳の誕生日を迎える。そしてヒクソンの最後の試合は、2000年5月26日、東京ドーム『コロシアム2000』の船木戦だから、既に約7年半、リングから遠ざかっていることになる。
 大丈夫なんですか……と私に聞かれても困るのだが、一つハッキリと言えることは、ヒクソン自身は、自信を持っているということ。年齢、そして7年半もの間、試合をしていないことが、ハンディ、またブランクになるとは考えていない。もう一つ、この十数年の間に総合格闘技界が進化したことで柔術のベーシックな技術がリングで通用しなくなっているとも彼は考えていないのである。
 ヒクソンは私に言った。
「いいかい、複合的な技術は目新しいと思われがちだ。でも大切なのはベーシックなテクニックを、実際の闘いで、いかに使いこなすかということなんだ。そしてシンプルに私は勝ちたい。もう研究されているから、この技は使えない……そんな風に考える人がいる。でも、そうじゃない。相手にいかに研究されようとも、それでも極まる技が本物なんだ。自分が持つベーシックな技の質を向上させることこそが大切なんだよ」
 来春、ヒクソンが『HERO'S』のリングに上がる可能性は高まっている。相手は、桜庭×船木戦の勝者が有力だと言われているが、私はエメリヤーエンコ・ヒョードルと闘ってもらいたいと思っている。この一戦が実現すれば、ヒクソンの強さがハッキリするはずだから、もっと多くの人が興味を持ってくれると思うからだ。
ヒクソンの戦闘能力を他のファイターと比較するのは実に難しい。その理由を詳しく記すのは別の機会にするが、ひとことで言えば、身体操作におけるレベルが違うのである。勿論、メンタリティも携わるが、そのこと以上にヒトの身体の有効な利用術をヒクソンは誰よりも知っている。3月だろうか、5月だろうか、必ずヒクソンは、もう一度、リングに上がる。
 その時が楽しみで仕方がない。
 いま私はドキドキしている。中日ドラゴンズが53年ぶりの日本一に王手をかけた日本シリーズ第5戦が始まる直前だからだ。でもヒクソンの次なる闘いは、私も、もっとドキドキさせてくれるだろうと期待している。


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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜(文春文庫PLUS)』ほか。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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