米国ではオールスターゲームのことを「ミッドサマー・クラシック」(真夏の祭典)と呼ぶ。1試合しか行なわれないため、その盛り上がりは「フォール・クラシック」(秋の祭典)が別名のワールドシリーズにも引けを取らない。

 

 

<この原稿は2021年10月10号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

 

 標高1マイル(約1600メートル)の高地にあるロッキーズの本拠地クアーズフィールドで行なわれた今年のオールスターゲームの主役は「ツーウェイ・プレーヤー」(二刀流)の大谷翔平(エンゼルス)だった。

 

 今回は特例として、DHのままでの先発登板が認められた。ア・リーグを率いたケビン・キャッシュ監督の機転が、それを可能にした。

 

「オータニの才能は新型コロナウイルスの痛手からベースボールが立ち直ることに大きく貢献している」

 

 昨シーズン、パンデミックの影響をもろに受けたメジャーリーグは60試合しかレギュラーシーズンを消化することができず、30億ドル(約3150億円)もの損失を被った。

 

 今年は従来通り162試合制で行われるものの、6月まで入場者制限を行った球団もあり、パンデミックによる経済的打撃から立ち直るには、まだ時間がかかると見られている。

 

 先のキャッシュのセリフは、そうした中で飛び出した。「ショーヘイこそはメジャーリーグの救世主」。彼は、そう続けたかったに違いない。

 

 既視感がある。1995年10月、私はレッズの本拠地シンシナティのリバーフロントスタジアムにいた。プレーオフ敗退が決まったドジャースのロッカールームに、レッズの主砲ロン・ガントが訪ねてきた。

 

 そこで野茂英雄を見つけるなり、彼は握手を求め、こう言ったのだ。

「メジャーリーグ(以下MLB)はキミに救われたよ。キミは救世主だ」

 

 このシーズンのMLBの主役は移籍したばかりのヒデオ・ノモだった。

 

 マイナー契約からスタートした野茂は5月にMLBに昇格するや否やトルネード投法と呼ばれる独特のフォームから繰り出されるスピンのきいたストレートと「ナイアガラの滝のように落ちる」(同僚のマイク・ピアザ捕手)フォークボールで、名立たるスラッガーたちをきりきり舞いさせた。

 

 このシーズンは、前年8月から続いたストライキの影響で開幕が1カ月近く遅れた。ファンは自らの立場とカネに執着する選手会にも経営者にも愛想を尽かし、球場には「フィールド・オブ・グリード」(拝金主義)との看板を立て、抗議した。

 

 そこに現れたのが野茂である。吹き荒れるトルネード見たさにファンは球場に戻り始め、232日間にわたるストライキで瀕死の状態に陥っていたMLBは息を吹き返したのである。

 

 野茂が真に偉大なのはア・ナ両リーグで計2回のノーヒッターを達成したことでもなければ、日本人として初めて新人王や最多奪三振といったタイトルを手に入れたことでもない。ナショナル・パスタイムと呼ばれる米国の娯楽、そして国技であるメジャーリーグ・ベースボールを救ったことである。

 

 同様のことはイチローにも言える。イチローがマリナーズに移籍した2001年と言えば、バリー・ボンズが歴代最多の73本塁打をマークした年である。

 

 もともと“打って、走って、守れる”三拍子揃ったプレーヤーだったボンズがホームラン一本にしぼるようになったきっかけとして98年のマーク・マグワイアとサミー・ソーサによる熾烈なホームラン王争いがあげられる。マグワイア70本、ソーサ66本。後に筋肉増強剤の使用が発覚する2人だが、両雄のマッチアップの前にボンズの影は薄かった。やがてボンズも薬物に手を染めることになる。

 

 たとえていえば排気量の大きな大型車しか車とは認められなかった時代、イチローは高性能のリッターカーとして全米を駆け巡った。“たまや~”“かぎや~”とばかりに偽りの“花火大会”にうつつを抜かしていたMLBに、ベースボール本来の魅力を再確認させたのである。その意味で、彼もまた「救世主」だった。

 

 そして大谷である。2ケタ勝利2ケタ本塁打を記録すれば、あのベーブ・ルース以来103年ぶりの偉業だ。100年前といえば、米国は禁酒法の時代である。ルースが禁酒法時代のスターなら、大谷は“家飲み”時代のヒーローか。

 

 ホームラン数は目下45本(現地時間9月23現在)。ブラディミール・ゲレーロ・ジュニア(ブルージェイズ)、サルバドール・ペレス(ロイヤルズ)の46本に次いでリーグ3位だ。9月に入ってややペースを落としているが、こちらもまだ射程内だ。

 

 近年、社会を覆う閉塞感を生成する要因のひとつとして「アンコンシャス・バイアス」(無意識の偏見)を挙げる者が少なくない。

 

 いわく「女性には無理」「障がい者にはできない」――。「二刀流は不可能」も、その文脈で語られるべきものだろう。いや、大谷の潜在的な可能性は「二刀流」の枠には収まらないのかもしれない。

 

 実は今シーズン、私が最も印象に残っているのは「投げる」でも「打つ」でもなく、三つ目の武器である「走る」の方だ。

 

 5月2日(日本時間3日)、敵地でのマリナーズ戦の初回、大谷は先発左腕のジャスティス・シェフィールドから右ヒジに死球を受けた。「ウォー!」という悲鳴は、テレビ越しにも、はっきりと聞き取れた。

 

 大谷はシェフィールドの動揺を見逃さなかった。二盗、三盗を決め経験の少ない24歳(当時)の投手を揺さぶった。「オレにぶつけるとこうなるぜ……」。顔にはそう書いてあった。

 

 このニュースは西海岸のみならず全米でも流れた。ぶつけた挙げ句、二つも塁を盗まれたらたまったもんじゃない。二つの盗塁は、この頃、厳しくなりかけていた内角攻めへの抑止効果を狙ったものだった。

 

 死球や四球をツーベースやスリーベースに変えることのできる大谷の足は、ルースにはなかったものだ(通算123盗塁しているが失敗は117)。ミダス王の手ならぬ足。ルース超えの切り札を、まだ大谷は使い切っていない。

 


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