高校時代、“ハンカチ王子”の愛称で親しまれた北海道日本ハムの斎藤佑樹が今季限りでの引退を発表した。

 

 

<この原稿は2021年10月24号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

 

「ご期待に沿うような成績を残すことができませんでした」

 とのコメントに無念さがにじんでいた。

 

 スポニチアネックス(10月1日配信)によると、昨年10月16日、イースタン・リーグでの巨人戦で右ヒジの違和感を訴え、後日、じん帯断裂が判明。この時点で、「野球をやめなくちゃいけないと思った」と最悪の事態を覚悟していたという。

 

 その後は早期復帰を目指し、PRP(自己多血小板血しょう注入)療法を行っていたが、回復には至らなかったようだ。

 

 プロ11シーズンで通算15勝26敗、防御率4・34。肩やヒジの故障もあり、直近の2シーズンは、一度も1軍のマウンドに立つことができなかった。17日のオリックス戦が“引退試合”となる見通し。

 

 身長176センチ、体重77キロ。ピッチャーとしては小柄な部類に入るが、高校時代は力投派だった。腰を折り、深く沈む込むフォームは下半身の強靱さを物語っていた。

 

 田中将大(東北楽天)と投げ合い、早稲田実業(東京)に初の真紅の大旗をもたらした2006年夏の決勝は今も語り草だ。

 

 駒大苫小牧(北海道)相手に、最初の試合は延長15回を、ひとりで投げ切った。1対1の引き分け。再試合でも、斎藤はひとりで投げ切り、4対3でチームを頂点に導いた。

 

 この大会、斎藤は1回戦から決勝再試合までの7試合全てに先発し、2回戦以降は6連続完投。69イニングと948球は、今も大会記録である。

 

 高野連は20年春に「球数制限」を導入したため、斎藤の記録は、もう破られないかもしれない。

 

 卒業後は早大に進み、六大学野球で通算31勝15敗防御率1・77、323奪三振という成績を残した。ここまでは順風満帆を絵に描いたような野球人生だった。

 

 10年秋のドラフトでは、4球団が1位指名し、日本ハムが当たりクジを引き当てた。沖縄県名護市で行われた翌年の春のキャンプは、“佑ちゃんフィーバー”で、どこへ行っても黒山の人だかり。本人を探すのにも苦労するほどだった。

 

 1年目は6勝6敗。大エースのダルビッシュ有がメジャーリーグに移籍したこともあり、斎藤にとって2年目のシーズンとなる12年、監督の栗山英樹は彼を開幕投手に指名する。

 

「開幕戦は相手も緊張する。そうすると佑樹の術中にはまる。タイミングがズレるとバッターは打ちにくいものなんです」

 

 栗山の見立て通りだった。本拠地・札幌ドームでの埼玉西武戦で、斎藤はプロ初の完投勝ちを演じる。勢いに乗った斎藤は、開幕からの6試合で4勝1敗。今にして思えば、この頃がピークだった。

 

 人は誰でも老いる。野球に興味があるかないかに関わらず、自らの青春を“ハンカチ王子”の栄光と挫折に重ね合わせる人は少なくあるまい。甘酸っぱい記憶とともに……。

 


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