ジェフユナイテッド市原・千葉の監督、イビチャ・オシムは、要田勇一がこれまで会ったことのないタイプの指導者だった。

 

「マネージャーが明日、何を練習するんですかって聞きに行っても、オシムさんは絶対に教えないです。明日は雨が降るかもしれない、風が強いかもしれない、選手が疲れているかもしれない。そのときの天候、コンディションで練習の内容を変える。(練習メニューの)引き出しが無数にあるから言えるんでしょうね。練習前には最初にグラウンドに入るし、終わった後は、最後に出ていく」

 

 要田は加入直後の2004年10月31日、ガンバ大阪戦に途中出場。次の対戦相手は横浜F・マリノスだった。

 

 横浜国際競技場で行われた試合は、前半からミスが目立つ、締まりのない内容で、ぼくは記者席で欠伸をかみ殺すことになった。

 

 前半9分、マリノスが先制。34分、羽生直剛の負傷退場により、要田がピッチに入った。ワントップに巻誠一郎、要田はやや引き気味にポジションをとった。要田からのスルーパスが通ったかに見えたが、オフサイドと判定された。

 

 後半開始早々、阿部勇樹の得点で同点に追いついた。その後、巻と要田の前線2人の足が止まった。パスの出しどころがなく、中盤の佐藤勇人がスピードを緩めることもしばしばだった。見せ所は、要田がサイドに走り、中央に走り込んだ佐藤に鋭いクロスボールを上げた一度だけだった。35分にマリノスが2点目を挙げ、1対2で終了。

 

 ジェフはセカンドステージ首位の浦和レッドダイヤモンズを追いかけていた。ファーストステージを制した後、セカンドステージで中位に佇んでいるマリノス戦の敗戦は痛いものになった。

 

 この試合後、2006年ドイツワールドカップ・アジア地区二次予選シンガポール戦のため、Jリーグは中断期間に入った。

 

 ここで要田はオシムの練習にどっぷりと浸かることになった。

 

 最も印象に残っているのは、フルピッチを使った「2対2」である。

 

「キーパーが入っての2対2。スペースが沢山あるわけです。(ロング)シュートをポーンと打つ選手もいる。そうしたら、キーパーからすぐにカウンター攻撃させる。ピッチが広いから考えることが沢山ある。ぼくたちがピッチの中を見ていると、オシムさんは怒りだすんです。ここで“中に入ったらスルーパスもらえるだろう、なんで入らないんだ”って。でもルールは2対2じゃないですか。最初は意味が分からなかったです」

 

 この練習には説明が必要だろう。通訳を務めていた間瀬秀一の証言を引用する。

 

〈試合中に何が起こっても対処できるように、練習のうちから、サプライズを仕掛けることがあるんです。(中略)次の組で待っている奴に、お前、突然飛び出せだとか。でもそれを大きい声で言っちゃったら、ディフェンス陣も分かるじゃないですか。

 だから周囲にだけ分かるように言う。当然、最初は皆、驚きましたよ。決めごとと違うことが行われるんで、説明と違うじゃないかと怒る奴がいたりして。そういう矛先は通訳に来るんです〉(『オシムの言葉』)

 

 生まれて初めての指示とは

 

 要田はオシムの意図をこう理解するようになった。

 

「(出番を)待っている人も、どのタイミングでランニングすればチャンスになるか、考えながら見なければならない。二対二ですから、自分たちの番が終わったら、ものすごくきつくてハーハーしているんです。そのときでも考えて、走り出さなくてはならない」

 

 オシムが選手に直接、声を掛けることは少ない。

 

「たまに呼ばれることがあるんです。そのとき言われたのは、動き方。ただ立ってボールを待つんじゃなくて、斜め、(下がって)マイナスに動いて、ボールを貰えと。前の選手はバタバタするな、エレガントに走れとも言われましたね」

 

 エレガントに走れという指示を受けたのは生まれて初めてだった。

 

「最初はほんと意味が分からなかったです。ぽかーんってしてました。でもやっているうちに、自分がこう走って、味方にスペースを空けるとか、なんとなく綺麗に走るという意味が分かってくる」

 

 間瀬は前出の『オシムの言葉』の中でこうも語っている。

 

〈あの監督が言ったことを素直に聞いて実行しようとしている選手は、絶対試合に出ていっていますよ。監督はかなり厳しいこと言うわけですが、でも、そこで素直に聞けるかどうか〉

 

 要田は“オシムの言葉”を分からないなりに正面から受けとめていたといえる。

 

 中断明けの初戦は、ヴィッセル神戸戦だった。

 

 試合前、辰己直祐氏からぼくの携帯電話に連絡が入った。

 

――要田が神戸戦の先発メンバーに入る。

 

 大抜擢である。オシムは神戸が要田の古巣であることを理解して、先発起用するという。

 自己防衛もあるだろう、バルカン半島の不安定な政情の中を生き抜いていたオシムの頭の中を覗くことは難しい。彼の大きな身体の中には、知性、情熱、偏屈が入り交じっている。ただ、はっきりしているのは“情”が大きな判断基準のひとつであることだ。必死で練習に食らいついている要田に古巣との対戦というご褒美を与えたのだ。

 

 市原臨海競技場の入り口で、ぼくは要田の両親と出くわした。やはり要田の先発出場を知り、神戸から駆けつけたのだ。オシムはこうしたことも想定していたはずだ。

 

 ジェフのキーパーは櫛野亮、ディフェンダーは、斎藤大輔、ジェリコ・ミリノビッチ、水本裕貴。中盤は水野晃樹、坂本將貴、阿部勇樹、佐藤勇人、村井慎二。そして巻と要田のツートップ――。みな指揮官の考えを理解したオシムチルドレンである。

 

 相手の神戸には、要田が子どもの頃から憧れていた三浦知良がいた。ベンチには、神戸時代の先輩に当たる和多田充寿、そしてカメルーン代表のパトリック・エムボマが座っていた。

 

 要田にとって、これ以上ない舞台の幕が開いた――。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com


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