2004四年11月20日、市原臨海競技場は気持ちのいい秋晴れだった。

 

 14時、キックオフの笛が鳴った。セカンドステージ第13節、3位・ジェフユナイテッド千葉と8位・ヴィッセル神戸の試合が始まった。

 

 開始から、試合を支配したのは、ジェフだった。

 

 神戸は守備の要である土屋征夫を欠いたこともあったろう、中盤の阿部勇樹、佐藤勇人が自由に動きまわった。前線の要田勇一と巻誠一郎にボールが入り、水野晃樹、村井慎二が両サイドを駆け上がった。まさにジェフの監督、イビチャ・オシムが標榜するボールも人も走るサッカーだった。神戸は中盤でボールを保持することができず、スリートップの三浦知良たちはお手上げ状態だった。

 

 試合が動いたのは、前半13分。

 

 阿部のフリーキックでジェフが先制。その1分後に佐藤が巻にパスを入れた。巻はポストプレーのお手本を見せるかのように、走り込んでくる佐藤にボールを戻した。このボールを佐藤がゴールに蹴り込んで、2点目。

 

 直後、三浦知良が左の角度がない場所から得点を決め、神戸は1点を返した。しかし、ジェフの勢いは止まらなかった。前半39分に水野が坂本將貴からのクロスボールをヘディングで合わせて3点目。水野のJリーグ初ゴールだった。

 

 前半を終えて3対1──。

 

 後半から大柄な黒人選手がピッチに入り、観客席から軽く歓声が上がった。神戸の監督、加藤寛は中盤の藤本主税を下げて、カメルーン代表のパトリック・エムボマを入れ、前線の枚数を増やしたのだ。

 

 ただし──。

 

 圧倒的な個の力があるエムボマでも流れを変えることはできなかった。個々の能力では神戸が勝っていたかもしれないが、その通りの結果にならないのがサッカーの面白いところだ。神戸の選手たちの動きはかみ合わなかった。ジェフの勝利はほぼ間違いない。ぼくの興味は、ジェフのいい流れの中で要田が初得点を挙げるかどうか、に移った。

 

 市原臨海競技場の記者席は観客席上部にあり、ピッチから遠い。ぼくはボールを目で追いながら、要田の位置を確認していた。要田はいつものようにひたむきにピッチを走り回っていた。後半開始直後、ボールをもらいに下がった要田は神戸の選手に吹き飛ばされた。彼はすぐに立ち上がり、何事もなかったかものように走り出した。

 

 3分、阿部からやや右側にポジションをとった巻にパスが出た。巻は足を上げて、浮き球に触り、中央にいた選手に落とした。その選手はちょんとボールを蹴り出し、3人のディフェンダーを振り切ると、左足を振り抜いた。素晴らしいゴールだった。

 

 無我夢中のプレー

 

 いったい、誰だ──。

 

 ジェフのサッカーではポジションチェンジが頻繁なため、前線で待っているのがフォワードの選手とは限らない。フォワードがサイドに出て、後ろの選手が飛び込んでくる空間を作ることも多かった。トラップせずにワンタッチでボールを前に出したのは、いい判断だった。こんなプレーのできる選手が、ジェフにいただろうか。コンマ何秒かして、それが要田だと気がついた。ぼくは記者席にいることを忘れて、思わず両手を挙げて、「やった」と大きな声を出した。

 

 要田のJ1での初得点だった。

 

 彼は満面の笑顔で走りながら拳を振りあげた。選手たちが周りに集まり、彼の得点をたたえた。選手たちの嬉しそうな表情から要田が愛されていることが分かった。試合は佐藤勇人が追加点をあげて、ジェフが5対1で勝利した。

 

 試合終了後、ミックスゾーンに降りると要田の周りを記者が取り囲んでいた。パラグアイから戻ってきた苦労人の初得点は、記者の琴線に触れたことだろう。要田は身振り手振りでゴールを説明していた。ぼくはその輪を横目で見て、帰路についた。

 

 彼の得点は嬉しくも、釈然としない部分があった。

 

 プロ選手である要田に失礼な表現になるかもしれないが、彼らしくないプレーだったのだ。あの小気味のいいプレーが普段からできていれば、Jリーグのクラブが彼を手放さなかったはずだ。スペインやパラグアイ、地域リーグに行く必要はなかっただろう。

 

 もやもやが晴れたのは、東京に戻ってからだった。要田から電話が入ったのだ。

 

 彼によると、直前の接触プレーで頭を打ち、軽い脳しんとうを起こしていたという。

 

「無我夢中でボールを追いかけていたら、得点が入っていたんです」

 

 要田は笑った。

 

 無意識のうちに身体が動いていたのだ。そのため、ぼくには彼らしくないプレーに映ったのだ。

 

 続く第14節の対FC東京でも要田は先発メンバーに起用された。3対3の引き分け。彼自身はノーゴール。

 

 最終節、市原臨海競技場で行われたジュビロ磐田戦も先発。1対1で迎えた後半5分、キーパーの櫛野亮のロングキックを巻が頭で落とし、要田がゴールに蹴り込んだ。

 

 この得点が決勝点となり、2対1で勝利。勝ち点3を積み重ねたことで、ジェフはセカンドステージ2位に入った。要田の得点が2位に引き上げたのだ。

 

 パラグアイから帰国して、ジェフで5試合出場、2得点。まずまずの結果だった。しかし、クラブ側は新たな外国人フォワードを探していた。要田の契約はこのシーズン終了まで、となっていた。

 

 シーズン最終節に挙げた得点の、ずしりとした重みを要田は後になって感じることになる。

 

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com


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