「Sportful Talks」は、ブルータグ株式会社と株式会社スポーツコミュニケーションズとの共同企画です。多方面からゲストを招き、ブルータグの今矢賢一代表取締役社長、二宮清純との語らいを通じ、スポーツの新しい可能性、未来を展望します。

 

 今回のゲストは、東京オリンピックで史上最多9個の金メダルを含む12個のメダルを獲得した日本柔道の躍進を、陰で支えた全日本柔道連盟科学研究部の石井孝法氏です。分析したデータをいかにしてメダルに結び付けたのか、石井氏に話を聞きました。

 

二宮清純: 男子100キロ級で金メダルを獲得したウルフ・アロン選手は「審判のクセが分かっていたので、安心して攻められた」と言っていました。柔道において、対戦相手を分析するというのは聞いたことがありましたが、審判までとは驚きました。

石井孝法: 審判の判定傾向は分析通りでした。審判が「指導」を入れるタイミングが遅くなることは2019年の時点で選手たちには説明していました。オリンピックではさらに試合時間が延びる傾向があるので、それに応じた体力づくりもしなければいけない、と。世界選手権では17年からの3年間、延長戦になる確率が下がっていました。私たちのように「オリンピックは試合時間が延びる」と予測していた他国の分析班は少なかったと思います。

 

今矢賢一: 延びると予測できた根拠はなんでしょうか?

石井: 試合時間が短くなっているという傾向が出ていたとしても、オリンピックでは絶対延びる。それは過去のオリンピックのデータを見ても明らかでした。オリンピックは観る側に寄せる傾向があり、できるだけ「指導」3回の反則負けで決着するのは避けたいんだろうなと。ただ間違ってはいけないので、初日のデータを採り、両監督に渡しました。案の定、審判の「指導」は遅くなっていましたし、2日目も同じでしたから「やっぱり遅いです。このままいきましょう」と提案しました。

 

今矢: 柔道のルールは、オリンピックサイクルで変更するのでしょうか?

石井: 基本的にはオリンピック後にルール改正が行われます。IJF(国際柔道連盟)としては観るスポーツとしてどう発展させるかを重視しています。試合をどれだけアクティブにするか、一本をどれだけ増やせるか。そういう観点で毎回ルール変更が行われています。

 

今矢: 柔道の魅力を高めるためにルールを進化させていくわけですね。

石井: そうです。ただいきなりボンと変わるわけではなくて、オリンピックが終わった後の2年間、新しいルールへの移行期間があります。その期間でルールを調整していく。今回のオリンピックでいうと2018年の時点でだいぶ固まっていました。東京オリンピックまでの2年間で、新しいルールにどれだけ適応できるかがポイントでした。

 

二宮: これまで「日本人に不利なルール変更」と言われることもありましたが、今回は前回のオリンピックから「有効」がなくなり、「技あり」と「一本」だけになりました。

石井: 「一本」に関してはかなり厳しくなり、「技あり」の幅がすごく広がった。昔で言う「効果」「有効」が「技あり」に含まれる。戦略としては「効果」程度の技を2回とって「合わせ技一本」を狙っていくチームもあります。ルールに応じて戦い方も変わっていきますね。

 

「データは信じない」

 

二宮: 今回のオリンピックで、審判のクセ以外に日本の分析が生きたことは?

石井: リオデジャネイロオリンピックの時から注意していたのが、いかに試合数を少なくしながらシード権を取るか。ポイントを何点とればシード権を得られるかを予測しながら目標を定める。それを選手たちに伝えました。その数値もだいたい当たっていましたし、選手の試合数をコントロールしながら、ほとんどの選手がシード権を獲得することができました。

 

二宮: その他には?

石井: 「支援をなくすための支援」です。オリンピックが近付くにつれ、選手にはたくさんの人や企業が「サポートしたい」と申し出てくる。今回のオリンピックで私が選手に言い続けたことは、「最初の2年はチャレンジしてもいいが、残り2年は無駄なものを外していかないといけない」ということです。

 

二宮: 「支援をなくす」とは?

石井: サポートする人が増えれば増えるほど、方向性を見失うリスクが高くなります。サポートする人たちが口を出し過ぎると、選手が混乱する。良かれと思い、どんどん関わろうとすることで逆に、失敗することがあるんです。できるだけ選手が望んでいないものは外していき、最終的にはサポートする人がいないくらいの状態が理想です。

 

二宮: 資金面の支援ならいいのですが、指導や戦略についてまで口出す人が増えてしまうと、“船頭多くして船山に上る”になってしまいますね。

石井: そうなんです。トレーナーだけでも3人いて、それぞれが違うことを言い出したら、きりがありません。

 

今矢: ラグビーなど他のスポーツでもデータ分析による成功例が出てきています。ちなみにデータに裏切られたことは?

石井: いや、私は逆にデータを信じていないんです。柔道の現場に関わってきましたし、選手としての経験もあります。大学院ではバイオメカニクスの研究をしましたが、細かくデータを採ることはできても、それが全てに活用できるとは限らない。出てきたデータを疑いながら、どう活用していくかを考える。そこは監督やコーチと対話をしながら進めています。指導者の成功体験の方が正しそうならば、そちらを採用してもいい。データの方が良さそうという時は、納得してもらえるようコーチ陣に説明しました。柔道の全日本のようにオリンピック金メダリストが何人もいるチームはそうはいない。その人たちの成功体験をいかに引き出し、共通点を見つけるか。そこに注力しました。

 

今矢: コーチ陣との対話を重視しながら、最終的な方向性を決めていくわけですね。

石井: そうです。それとコーチ陣が私を評価している点があるとすれば、無駄な情報を迷わず外すところだと思うんです。

 

今矢: データのノイズを取り除くということですね。

石井: はい。集めたデータにしても妥当性が弱い場合があります。取捨選択をする必要があります。

今矢: 企業における社員の健康管理を、スポーツのアプローチやコンディショニングで改善していく取り組みを別事業として取り組んでいるのですが、社員の健康管理に関わる産業医の先生からも、「取得できているデータの中にも活用できないもの、あまり意味をなさないものも多い。場合によっては主観データの方が現段階では価値が高いものもある」と言われたことがあります。取得したデータが全て有効であるとは限らないんですね。

 

 情報格差はなくなる

 

二宮: お話を聞いていて“データの目利き”としての能力が問われていることがよく分かりました。集めるだけじゃなく、データの“際”を読む力が必要ですね。文章でも「行間を読む」と言うけど、そこなんでしょうね。ただ読むだけなら誰でもできますから。

石井: 私は画家パブロ・ピカソの「凡人は模倣して、天才は盗む」という言葉をよく使います。例えば、スタッフが「サッカーの一流チームが今までやっていました」と情報を持ってくる。しかし、それが私たちの解決しようとしている問題と関係なければ意味がない。ただの流行り、真似から入ろうとしてはいけません。私たちが必要なものに対し、使えるものなら積極的に盗む。そうした貪欲さがないと、あれもこれもと、ただの真似ごとになってしまいます。

 

今矢: 日本柔道の分析チームは世界的に見てもトップクラスと言っていいのでしょうか?

石井: 当然、そこを目指してやってきました。ずっとスタッフに言ってきたのは「世界一を目指すならサポートスタッフも世界一じゃないといけないよ」ということ。そのためにオールブラックス(ラグビーのニュージランド代表)に学びに行ったり、AISというオーストラリアの国立スポーツ研究所にも行きました。2019年にはカナダのトレセン。柔道以外の競技のサポート体制からも勉強しています。世界の情報を仕入れながらどうやったら他をリードできるかを常に考えてきました。

 

二宮: ここで少し歴史を振り返っていただきたいと思います。科学班はいつ立ち上がったのですか?

石井: 1977年です。国の方から要請があり、柔道や陸上などの競技で、それぞれ科学班をつくりました。ところが現場になかなか受け入れられなかったそうです。

 

二宮: 容易に想像できますね。私が取材していて「最後は練習の量だ!」と精神論で片付ける指導者も少なくありませんでした。

石井: そうなんです。精神論や技術論だけで世界を獲れるという意識が強かったんだと思います。ソウルオリンピックが終わった後、90年代から海外の選手たちの試合映像をストックしようと、たくさんデータを採るようになりました。

 

二宮: ロンドンオリンピックの柔道で日本の金メダル獲得は女子52キロ級・松本薫選手の1個だけでした。惨敗に終わったことで以降、指導体制が一気に見直された印象があります。

石井: もしロンドンの結果が良かったら、あのまま行っていた可能性もあるでしょうね。あの頃の柔道界はいろいろな問題が浮上してきた時期でした。日本の柔道界が一気に変わらなければいけないタイミングだったんだと思います。

 

今矢: リオ、東京の2大会は科学班のサポートが実ったわけですが、今後はどう発展させようと思っていますか?

石井: 柔道ではもう既に情報格差がないという状況になっています。IJFがすべての大会の映像を公開しているんですよ。だからどの国も、全ての選手の試合映像を観ることができ、分析することが可能になりました。情報格差がなくなっているので、そこからどうリードしていくかが大事です。まだまだ日本の柔道界におけるスポーツ科学の基礎知識は弱い。コーチ陣と一緒に学びながら、成長していけば、他国をリードできると思っています。

 

石井孝法(いしい・たかのり)プロフィール>

1980年、福岡県生まれ。中原中、福岡大大濠高、福岡大を経て2003年にエス・ピー・ネットワークに入社。現役時代は男子柔道100キロ級の選手として全日本強化指定選手に選ばれた。01年講道館杯、03年選抜体重別で同級3位に入賞を果たした実績を持つ。05年から全日本柔道連盟科学研究部の一員として日本代表をサポートした。06年筑波大学大学院修了。13年から文部科学省のハイパフォーマンス事業の一環で柔道専用の映像分析システム(通称ゴジラ)を筑波大学と共同開発。リオデジャネイロオリンピックでの日本柔道の復活、東京オリンピックでの躍進に貢献した。現在は了徳寺大学教授、了徳寺学園医療専門学校の校長も務める。

 

(鼎談写真・構成/杉浦泰介、その他の写真/本人提供)


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