日本の五輪バスケットボール史上初となる銀メダルを獲得した女子代表。その快挙は、どのように成し遂げられたのか。キャプテンとしてチームを牽引した髙田真希と当HP編集長・二宮清純が語り合う。

 

二宮清純: 東京五輪の銀メダル獲得、おめでとうございます。手に汗握る試合の連続で、私も興奮しました。

髙田真希 ありがとうございます。金メダルを目指していたので、悔しい気持ちもありますが、こうして皆さんが喜んでくださる姿を見ると、頑張ってよかったなと思います。

 

二宮 今回、試合を見ていて驚いたのは、日本のスリーポイントシュートの正確性です。出場12チーム中トップの成功率で、決勝までは40%を超えていました。

髙田 スリーポイントを武器にするために、とにかく練習してきました。それこそ、ほとんどの選手が毎日のように早出・居残りでスリーポイントの練習をしていたくらいです。

 

二宮 それはトム・ホーバスヘッドコーチ(現・バスケ男子日本代表ヘッドコーチ)の方針ですか。

髙田 はい。身長が高い海外の選手たちと互角に渡り合うには、「スリーポイント」と「スピード」が大事だと。

 

二宮 確かに、体格に劣る日本の選手がインサイド(ゴール下近辺)で戦うのは大変です。実際、五輪出場チームの中でも平均身長は2番目の低さ(176センチ)でした。ただ、スリーポイントを外すと、リバウンド(リングに弾かれたボール)を取られやすくなる。打つのに勇気が必要では?

髙田 迷いがあると精度が落ちるので、自信をもって打ち切ることが大事です。練習でも、その点を強く意識していました。

 

二宮 今大会、髙田さんも要所要所でスリーポイントを決めていましたが、ご自身のシュート精度はどのくらいですか。

髙田 マークされた状態だと五割くらい、ノーマークだったら七~八割くらいは決められます。

 

二宮 すごいな。ホーバスコーチの就任以前は、そこまでスリーポイントは推奨されていなかった?

髙田 はい。私自身も日本の選手の中では身長が高いほうなので、ゴールに近いところでシュートすることが多く、スリーポイントはほとんど打っていませんでした。

 

二宮 ちなみに、何かスリーポイントを打つときのコツみたいなものはあるのでしょうか。

髙田 これは人それぞれ違うかもしれませんが、私は「アーチを高く上げること」だと思います。高く弧を描くように打って、ゴールの上からボールを落とすようなイメージです。女子選手は腕の力が男子ほど強くないので、ボールを高く上げること自体が大変なのですが、ボールの軌道が低いとリングに跳ね返されてしまうことが多くなります。

 

二宮 スリーポイントを積極的に打つようになったことで、戦術も変わったのでは?

髙田 変わりましたね。私のようなセンターの選手が外からスリーポイントを打つようになったことで、本来ディフェンスとして中に残るべき大型の選手がスリーポイントを防ぐために外に出てくるようになりました。その結果、カットイン(ディフェンスを抜いてゴール方向へ侵入するプレー)の成功率も上がりました。

 

二宮 カットインといえば、日本のプレーはスピード感に溢れていましたね。とにかく、皆さんよく走っていた。あれだけ走り続けるためには相当なスタミナが必要なわけで、練習の厳しさが伝わってきました。

髙田 体格に劣るチームが勝つためには、「走るバスケ」に徹する必要があります。当然、練習は大変でした。試合のほうが楽だと感じるくらい(苦笑)。でも、そのおかげで前半負けていたとしても、「(相手の体力が落ちる)後半に巻き返せる」という自信が生まれ、最後まであきらめずに戦えるようになりました。

 

二宮 大会の総括を求められたホーバスコーチが、「このチームにスパースターはいないけれど、スーパーチームだ」と語っていたのが印象的でした。

髙田 本来ならチームの中心になるであろう選手が、開催の一年延期によって引退したり、故障で出場を断念したりしました。エース不在を指摘され、周囲から不安の目を向けられていることもわかっていました。実際、選手に求められる役割が増え、要求が高くなった部分もあります。でも、一人一人が自分の役割を果たすことができれば、必ずいいチームになる――そう信じて頑張ってきました。それなので、あの言葉はうれしかったですね。

 

(詳しいインタビューは11月1日発売の『第三文明』2021年12月号をぜひご覧ください)

 

髙田真希(たかだ・まき)プロフィール>

1989年、愛知県豊橋市出身。中学校から本格的にバスケットボールを始める。高校は強豪の桜花学園に進学。3年時には、エースとして「高校バスケ三冠」(インターハイ、国体、ウインターカップ)達成に貢献した。08年、Wリーグ(バスケットボール女子日本リーグ)のデンソーアイリスに加入。1年目(08-09シーズン)にルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。その後、13-14シーズンでMVPを獲得したほか、これまで得点王に7回、リーグベスト5には9回(16-17シーズン以降5季連続)選出されている。18年、日本代表のキャプテンに就任。19年のアジアカップ優勝、21年の東京五輪準優勝に貢献した。選手として活躍する傍ら、株式会社TRUE HOPEを設立し、社長に就任。「スポーツを通して日本を明るく元気に」をスローガンに、スポーツ教室やイベントを開催している。身長183センチ、ポジションはセンター。


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