この8月、横綱・朝青龍が夏巡業をスッポかしてモンゴルで“草サッカー”に興じていた科(とが)で2場所出場停止などの重い処分を受けた時、真っ先に頭に浮かんだのが東京ヴェルディ1969監督・ラモス瑠偉の顔だった。

 ラモスが朝青龍よりもはるかに重い1年間の出場停止処分を受けたのは、彼が来日直後のことだから、もう今から29年も前の話だ。

 読売対日産戦。日産のスイーパー坂木嘉和のしつこいマークに苛立っていたラモスは空中戦で競った際にヒジ打ちを見舞った。ラモスにすれば軽く小突いた程度だった。

 ところが坂木はなかなか起き上がってこない。ラモスの目にはそれがオーバーアクションに映った。顔をのぞきこみながら覚えたての日本語で言った。「ナンダ、バカヤロー!」。その瞬間、坂木がニヤッと笑った。「コノヤロー、演技しやがって」。カッとなったラモスは坂木を追い掛け回した。

 この一件は高くついた。先述したようにまるまる1年間の出場停止処分。「ウソでしょ? ブラジルならせいぜい2、3試合の出場停止処分だよ。オレがガイコクジンだからなの?」。ラモスの孤独感はいかばかりだったか。後に彼はこう語ったものだ。

「まだ日本で何もしていないのに、ブラジルに帰らなければならないのかと思うと辛かった。連れてきてもらったジョージ(与那城)にも申し訳ないと思った。それからの1年間は地獄の日々。その時に誓ったの。“今に見てろよ”って。で、ある言葉を覚えた。“復讐”。やられたらやり返す。やられっ放しでしっぽ巻いて逃げるヤツ、男じゃないよ」

 処分が解けた翌年、ラモスは得点王とアシスト王に輝き、読売クラブの1部リーグ2位躍進の立役者となった。「オレの体には(ヴェルディの)緑の血が流れている」。こんなキザな言葉がサマになるのはラモスだけだろう。

 25日の愛媛戦に勝利したことでラモス・ヴェルディのJ1昇格が事実上、決定した。だが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。4月から5月にかけて7連敗を喫した際には解任の危機に見舞われた。

 地獄の谷から歓喜の峰へ――。ラモスはまたしても見事な復讐劇を見せてくれた。私は彼のことを「嵐を呼ぶ男」と呼んでいる。切に続投を願う。そして来季はJ1に暴風雨をもたらせてほしい。

<この原稿は07年11月28日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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