水田光夏(白寿生科学研究所)第137回・特別編「夢の大舞台へ。支えてくれた方々に感謝」
皆さん、白寿生科学研究所所属のパラアスリート・水田光夏です。この夏行われた東京パラリンピックに、日本代表として出場(パラ射撃・混合エアライフル*1)しました。今回は特別編コラムとして私が執筆担当いたします。
無意識に、そして丁寧に
生まれてきた中で様々な出会いがあります。全てが良いこと嬉しいことだけでなく、残念で悲しいこともあります。私にとって一番残念な出会いは病気でした。シャルコー・マリー・トゥース病という手足共に末端から神経麻痺、筋力が低下していく進行性の難病です。しかし、この残念な出会いがあったからこそ、射撃と新たに巡り合うことができました。
もし病気を発症していなければ、私の人生の中で射撃との出会いは訪れなかったことでしょう。
私は現在、両足の膝上から指先にかけて、右手の肘から指先にかけて、そして左手は指先の感覚が無い状態です。
競技では感覚の無い指でトリガーを引きます。無意識に丁寧に引けるよう、とことん身体に覚えこませるまで、鏡を見ながら何千回何万回と練習をしたことか……。実際に無意識に不安なくトリガーが引けるようになるまでに1年半ほどの時間がかかりました。
しかし、射撃の練習中は私にとって自分自身と心も身体も向き合うことのできる貴重で楽しい時間でもあります。
大会に向けてNTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)でオリンピック選手と共に練習させていただく中で、同じ射撃場で同じ標的に向かい、銃を構える姿勢こそ少し違えど同じ弾数を撃っていて、射撃競技においてオリもパラも大きな違いはないことに改めて気付きました。
この度、初めての大舞台となる東京パラリンピックに出場するにあたり会社(白寿)の皆様、射撃関係者、ドクター、恩師、友人知人、家族、大会関係者、ボランティアの方々、そして私の目で見えない所から支援して下さる多くの方々に支えられました。そのおかげであの場所へ立つことが出来ましたことに深く感謝申し上げます。
世界中が感染症と戦う中、東京も緊急事態宣言中で行われた大会です。選手は普段とあまり変わらず試合に臨むことができましたが、そのためにどれだけの人々の労力があったのか計り知れません。
東京大会では大きく分けてふたつの目標をもって臨みました。ひとつ目は、自分自身の最大限のパフォーマンスを発揮して自己ベストを更新すること。ふたつ目は、初出場なのでとにかく大会全体を楽しむことでした。
競技会場である陸上自衛隊朝霞訓練場の様子は、ワールドカップなどの国際大会とあまり変わらない印象を受けました。そのおかげか、いつも通り緊張することもなく試合に臨むことができました。だが、体調管理を含めまだまだ足りない部分がありひとつ目の目標は達成することができず(628.6点・予選32位)、悔しい結果となりました。でも、ふたつ目の目標は達成できたと思います。
他の国際大会とパラリンピックで大きく違うことのひとつに選手村の存在があります。様々な国や地域、そして国内の他競技選手と同じ空間で生活するというのは不思議で特殊な環境でした。感染対策としてあまり海外選手との交流はありませんでしたが、普段SNS上でやり取りをしている他競技の選手とお話をしたり、写真を撮ったりという交流もできました。
また選手村には選手たちが生活する居住棟エリアとは別に、美容院やネイルサロン、ショッピングができるエリアもあり、試合が終わってから実際に私も選手村内の美容院で少しヘアカットをしてもらったりしました。大きな楽しみであった開会式と閉会式は、感染症の影響で「入村は競技開始日の5日前から、退村は競技終了2日以内」「式の当日選手村に滞在していること」というルールがあったため、残念ながらどちらも参加できませんでした。でも、素晴らしい式典の模様は、皆さんと同じようにテレビで楽しみました。
東京大会への出場では、多くの失敗があった中で今後に向けての課題など得るものがたくさんありました。3年後のパリ大会に向けてまた新たに目標を設定し、今後も歩み続けます。引き続き応援をよろしくお願い致します。
*1 射撃(エアライフル)= 10m先の500円玉大の的にある直径0.5ミリの中心を目掛け、1時間内にで60発打った結果の合計得点で競う。
水田光夏(みずた・みか)プロフィール
東京2020パラリンピック日本代表選手 (種目:混合エアライフル伏射SH2 10m)。1997年8月27日東京都町田市生まれ。中学2年生の時に指定難病「シャルコー・マリー・トゥース病」を発症。大好きだったダンスができなくなってしまったことに悩んでいた時に、3大会連続でパラリンピックに出場しているパラ射撃・田口亜希さんの姿に魅了され、19歳で射撃を始める。競技開始から1年後の全日本障害者ライフル射撃選手権は初出場で2位、19年優勝。18、19年のW杯にも出場。2020年3月 桜美林大学を卒業し、2020年4月、株式会社白寿生科学研究所に入社。現在、競技活動と仕事を両立しながら、講演や多くのメディアで射撃の魅了を発信し続けている。