1964年に米国に進出したビートルズが、メッツの本拠地シェイ・スタジアムでコンサートを行ったのは65年8月15日のことだ。当時の観客数としては世界最多の5万5600人。「誰も演奏なんて聴いていない。まるで暴動だった」とジョン・レノンは語っている。

 

 同じ頃、サンフランシスコのダウンタウンから発生した、あらゆる社会規範からの解放を目的とするヒッピームーブメントは最高潮に達しようとしていた。肩にまでかかる長髪と無精ヒゲは、支配階級と既存の価値観に対する抵抗のシンボルだった。

 

 ヒッピーはもちろん、ビートルズに対しても眉をひそめていたと言われるのがドック(船の製造・修理会社)を営んでいたジョージ・スタインブレナーだ。73年、ヤンキースを買収してオーナーとなった。

 

 ニューヨークの「ビッグボス」ことスタインブレナーが最初に断行したのが、野球選手の間にも流行していた長髪や無精ヒゲの禁止である。こうした身だしなみもドレスコードの一部と見なしたのだ。

 

 話題を呼んだのがブライアン・ウィルソンの一件だ。13年オフ、ヤンキースはジャイアンツ時代、30セーブ以上を4度も記録しているクローザーの獲得に乗り出した。だが、ウィルソンはポパイの敵役であるブルートのような顔中を覆うヒゲが気に入っており、ヤンキースの高額なオファーを断ってドジャースに残った。

 

 日本にも原則としてヒゲ、長髪、茶髪を禁止している球団がある。「球界の盟主」を自認する巨人だ。先の規律は球団創設者である正力松太郎の「巨人軍は常に紳士たれ」という遺訓に基づいている。94年に横浜から移籍してきた屋鋪要がトレードマークの口ヒゲを剃らずに残していた記憶があるが、あれは特例か。

 

 この秋、中日の新監督に就任した立浪和義は就任会見で、いきなりヒゲ、長髪、茶髪の禁止を打ち出した。その是非については問わない。確認しておきたいのは、この新しい規則が一時的なものか、それとも恒久的なものか、という点だ。

 

 レストランにたとえて考えてみる。支配人が代わるたびにドレスコードまで変わっていたのでは、従業員は客にどう接したらいいか戸惑うだろう。少なくともドレスコードに類する規則を決めるのはオーナーであって雇われの身の支配人ではない。野球も同じだ。立浪の「スポーツマンはスポーツマンらしく」という考えを球団が支持するのなら、これを機に先の禁止令を球団規則に格上げすべきだろう。時限立法というのなら話は別だが…。

 

<この原稿は21年11月3日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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