大改装が施されたいまはわからない。だが、1929年に建設された当時の風情を色濃く残していた頃のベティスのホーム、ベニートビジャマリンの正面の入り口には、大きな金属製のプレートが設置されていた。

 

「12-1」

 

 それは、83年12月21日、欧州選手権予選を戦うスペインがマルタを相手に記録したスコアだった。

 

 この日を迎えるにあたって、スペインは一足早く全日程を終えたオランダに勝ち点で2、得失点差で11の差をつけられていた。スペインが本大会に進出するためには、最低でも11点差の勝利が必要な状況だった。

 

 常識的に考えてありえないノルマ。ところが、その「ありえない」ことがベニートビジャマリンで起きた。

 

 スペインは勝った。12-1で勝った。前半途中に同点ゴールを奪われながら、後半だけで9得点を挙げて夢物語を実現させた。

 

 以来、スペインにとってベニートビジャマリンは特別な地となった。記念のプレートが貼られたスタジアムには、スペインにとって大切な試合、決戦と見なされる一戦が振り分けられるようになった。最新設備が整っているとは言い難く、セビリアの中でも最高とは言えないスタジアムが、スペインにとってのいわば切り札とされたのである。

 

 本来は芝の張り替え時期だった埼玉スタジアムが、日本サッカー協会の要請を受けてW杯予選での使用を承諾した。苦境に立たされた日本代表のために、スタジアムの魔力を頼みたい協会の気持ちはよくわかる。

 

 実際、国立競技場を主戦場としていた頃に比べ、埼スタで戦う日本代表の試合には、劇的な一撃、マグマが噴出するような一撃が増えた印象がある。大黒、本田、山口――。陸上トラックのないスタジアムの熱狂は、特に絶体絶命の危機からもホームチームを救う。

 

 なので、埼スタにこだわった協会のやり方は至極もっともだと思うのだが、半面、どうしてもひっかかるところもある。

 

 10月28日共同通信は「政府が新国立競技場の球技専用化を見送る方針を固めた」との一報を配信した。近年、五輪のメイン会場となったスタジアムは大会終了後、球技専用に改装される例が多かったが、日本はその例に則らないことが決まったというのである。

 

 シドニーは、ロンドンは、なぜスタジアムを球技専用化したのか。そちらの方が観客動員を見込めるから、である。サッカーとラグビーで共有すれば、週1ペースの興行も打てる。

 

 まだ一度も満員になったことがない新スタジアムは、目下、五輪仕様から原状復帰を図っている最中だという。ということは、仮に協会が望んだとしてもW杯予選の開催は難しかったわけだが、それでも、開催を望む声が皆無だったことを政府関係者はどう捉えているのだろうか。コロナのせいで五輪での伝説をつくり損ねたスタジアムは、今後も、熱戦や激闘の歴史を刻まないまま、ただの建造物として劣化していくのだろうか。

 

 残念ながら、わたしが生きているうちに東京がまた五輪の開催地に選ばれることは、まず、ない。だが、サッカーとラグビーのW杯が再び日本にやってくる可能性は十分にある。そのときのためにも、今回政府が「見送った」案を、決して「廃案」にしてはいけないと、強く強く強く思う。

 

<この原稿は21年11月5日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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