どんなチームにも“代えの利かない存在”とされる選手はいる。どれほど監督が優秀で、フロントに目利きが揃(そろ)っていたとしても、そのピースが失われただけで、チーム自体が崩壊の危機にさらされることもある。それは、最近のバルセロナを見ていてもよくわかる。

 

 開幕前、わたしは川崎Fを優勝予想から外した。恥ずかしながら、結構な自信もあっての予想だった。

 

 降格制度が復活する今年は、下位のチームの中に守りを固めてくるところが出てくる。昨年よりは難しい試合が増える。川崎Fが取りこぼす隙を、名古屋や神戸、横浜あたりが衝くのではないか。そう予想した。

 

 何より重要に思えたのは、中村憲剛がいなくなる、ということだった。

 

 川崎Fにとって、中村はただのベテランではなかった。お手本であり、切り札であり、精神的支柱だった。酸いも甘いも知り尽くした男がチームを去った意味は決して小さくない。苦境に立たされた時、チームとしての自信が揺らぎかけた時、今年の川崎Fは耐えられないのではないか。そうも思った。

 

 謹んで我が不明をお詫び申し上げます。

 

 中村を失っても自信と統制を失わなかったチームは、田中と三笘を放出してもレベルと順位を維持し続けた。眼下に横浜が迫った時はそれなりの重圧も感じたはずだが、少なくともわたしの目には、焦りからくる歯車の狂いのようなものは、まったく見えなかった。

 

 もちろん、鬼木監督の胸の内には「コイツだけはいなくなったら困る」という存在はあったはずである。だが、メッシがいなくなってガタガタになってしまったバルサと違い、川崎Fは中村が抜けても、田中、三笘がいなくなっても川崎Fだった。

 

 その象徴の一人が、レアンドロ・ダミアンだった。来日当初の彼は、はっきり言えば異物でしかなかった。かつてグアルディオラが技巧派揃いのチームにイブラヒモビッチを加えたように、異物を加えることによる化学反応を期待したのだろうが、結果は芳しいものではなかった。19年に優勝を逃した要因の一つは、彼の加入にあったとわたしはいまでも思っている。

 

 だが、異物のままチームを去ったズラタンと違い、レアンドロはどんどんと川崎Fに染まっていった。正直、日本に来てこれほどプレースタイルを変化させていったブラジル人は、ちょっと記憶にないほどだ。

 

 これはつまり、誇り高いブラジル人のサッカー観を動かすほどに、川崎Fのスタイルは吸引力があったということなのだろう。若い日本人選手が驚くべき速さで変化していったのも、当然と言えば当然だった。

 

 忘れてはならないのが、常に優秀なバックアップ・プレーヤーを供給し続けたフロントの眼力と交渉力である。国内外から必要なパーツをピックアップするセンスは、見事というしかない。欧州のクラブであれば、ビッグクラブによるスタッフの引き抜き合戦が始まるはずだ。わたしが川崎Fのファンであれば、彼らが働きに見合った報酬を手にできることを切に祈る。

 

 優勝を決めたあとの記念撮影では、三笘、田中のユニホームも用意されていた。大事な時期にチームを去った彼らを、仲間たちがどう見ていたかがうかがえる場面だった。Jから世界を目指す若い才能にとって、これほど魅力的に感じられるチームは、ちょっとない。

 

<この原稿は21年11月5日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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