2004年シーズンが終了したある日のことだ。

 

 要田勇一の代理人である辰己直祐氏は、ジェフユナイテッド市原の祖母井秀隆ゼネラルマネージャーから話があると呼び出された。2人は兵庫県の報徳学園サッカー部の先輩後輩にあたり、腹蔵なく意見を言い合う関係である。

 

 祖母井は、ジェフの社長、淀川隆博から要田に来季「0円提示」の指示があったと申し訳なさそうに切り出した。

 

 0円提示とは、平たく言えば戦力外通告だ。

 

 祖母井は著書『祖母力』の中で、ジェフのチーム体制についてこう書いている。

 

〈ジェフユナイテッド市原というチームは、46年に設立された古河電工サッカー部を母体とし、65年の日本リーグ開幕から一度も降格しなかった名門クラブチームです。(中略)Jリーグ発足と同時にJR東日本と合弁で、新組織として立ち上げられたのが現在のジェフでした。したがって、その社長はじめ幹部は、すべて古河電工とJR東日本のOBの天下り先でした。つまり、サッカーとはまるで関係なく、親会社の人事によって出向して来るわけです。当初、まずその内情を知って、まるで宝くじのようなものだと思ったものです。3年単位で上層部が入れ替わり、その人物次第でクラブの予算や運営方針がコロコロ変わっていくからです〉

 

 本来、チームの要である経営陣が、親会社からの出向社員という“腰掛け”で占められているのは、ジェフに限らずこの時期のJリーグクラブの現状だった。

 

 淀川は早稲田大学サッカー部、古河電工サッカー部でゴールキーパーとしてプレーしたサッカー関係者でもある。ただし、現役引退後は、社業に専念していた。

 

 サッカーは進化している。たとえ、アマチュアサッカー選手としての経験があったとしても、プロ選手の目利きは、別問題である。干からびた、自分の成功体験に拘泥すれば、道を間違うというのは、サッカーに限らず、ビジネスの基本である。

 

 まず祖母井は監督のイビチャ・オシムに要田の戦力外通告を報告した。するとオシムは「(04年シーズン・セカンドステージ)準優勝の賞金はいくらだったか」と尋ねた。

 

 前回の連載で触れたように、ジェフは最終戦のジュビロ磐田に勝利し、セカンドステージ2位となった。祖母井が5000万円だと答えると、オシムは小さく頷いた。

 

「あの試合、要田の決勝点でジェフは勝ち点3を得て、2位になったんじゃないか。要田が(賞金)5000万円のうち、10パーセントをとっても誰も怒らないだろう。来季500万円の年俸でもいいのならば残らせてはどうか」

 

 その金額で要田が不服ならばしょうがない、と付け加えた。

 

 オシムらしい言い回しである。

 

 要田は日本代表に選ばれるような選手ではない。しかし、彼のひたむきな努力はチームに不可欠であると評価していたのだ。

 

 残留以外の選択肢はない

 

 辰己氏にオシムとのやりとりを明かした上で祖母井は、要田に来季500万円の年俸を提示してもらえないだろうか、と言った。

 

 辰己氏は、まずサッカーを分かっていない社長が何を言っているのだ、チーム編成は祖母井の専任事項ではないのかと怒りを感じた。オシムがジェフの監督に就任したとき、「このクラブは選手も変わらなくてはいけない。しかし、選手以外も変わらなくてはならない」とフロントをやんわり批判したことを思い出した。

 

 しかし、こうも思った。要田が今季、ジェフでプレーしたのは、たった5試合。移籍するにしても、他のクラブを探すのは難しい。何よりこれまで燻っていた要田を使いこなすオシムの手腕に舌を巻いていた。残留以外の選択肢はない。

 

 要田には、基本給は年間500万円だが、出場給とゴールのインセンティブを契約に入れると約束した。要田に不満はなかった。とにかくこのクラブでプレーすることが楽しくて仕方がなかったのだ。

 

 オシムの元で結果を残したジェフの選手たちには、他のクラブからの触手が伸びていた。このシーズン終了後、日本代表に選ばれていた茶野隆行と村井慎二がジュビロ磐田に移籍した。資金力のないジェフは、金銭的な条件で選手を囲い込むことができない。引き抜き、である。

 

 05年1月30日、ジェフはシーズン前のトルコキャンプに向かった。現地では、オシムの交友関係により、クロアチアのハイデュク・スプリト、ブルガリアのレフスキ・ソフィアと練習試合を行っている。いずれも名門クラブである。

 

 キャンプには、来シーズンから新たに加入する外国人選手、オーストリア代表のマリオ・ハースが参加している。

 

 ハースは1974年、オーストリアのグラーツ出身のフォワードである。オシムが率いたこともあるオーストリアのシュトルム・グラーツの他、フランスのストラスブールでもプレーした。

 

 要田はハースの技術に目を見張った。派手さはないものの、視野が広く、きちっとボールを止め、正確にボールを蹴る。基本的な技術のレベルが高いのだ。ハースは3日間練習した後、オーストリア代表合宿に合流した。

 

 ハースの他、ルーマニア代表のガブリエル・ポペスクとブルガリア代表のイリアン・ストヤノフがジェフに加わった。

 

 ポペスクは、スペインのサラマンカ、バレンシアなどでプレーした中盤の選手で98年ワールドカップフランス大会に出場。ストヤノフは2004年の欧州選手権に出場した長身のディフェンダーだ。

 

 ジェフは、ハース、ポペスク、ストヤノフとチームの背骨をワールドクラスの選手で補強したことになる。

 

 日本帰国後、要田はこのストヤノフと激しくぶつかることになる。ストヤノフに火をつけたのはジェフの若手選手による“ボール回し”だった。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com


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