侍ジャパンの新監督に就任した栗山英樹が“魔術師”の異名をとった三原脩の信奉者であることは、よく知られている。三原は栗山がプロ入りした年に他界しているため、栗山からすれば没後弟子ということになる。

 

 三原の何が好きか。数年前、本人に直接、質したことがある。返ってきた答えは「大局観」。その心は?「日本ハムの初代監督は娘婿の中西太さん。その中西さんが初回から送りバントのサインを出した。それを見た三原さん、“こいつは監督の器ではないな”と。要するに初回からのバントは、プロ野球の発展につながらないということですよ。そういう大局観が、三原さんの一番好きなところ。僕は今、プロ野球の世界でメシを食わせてもらっている。この幸せな環境を、どう次の世代につないでいくか…」

 

 試行錯誤しながら二人三脚でつくり上げた大谷翔平の“二刀流”も三原流の「大局観」を文脈の中心に据えれば合点がいく。大谷との出会いは栗山をも変えた。「彼の力を借りてもっと面白いことができるんじゃないか。もっと別の表現方法があるんじゃないか…」。手探りの状態で栗山が取り組んだ実証実験の最大の受益者が、日米の野球ファンだったことは「ショータイム」に沸いた2021年のシーズンが余すところなく証明している。

 

 ところで三原についての私の知識は、そのほとんどが西鉄監督時代のマネジャー藤本哲男から仕入れたものだ。いわゆる“排斥騒動”が原因で巨人を去った三原は「我雌伏して、中原に覇を唱えん」との中国・春秋戦国時代の名文句を口にして西鉄に移る。そして史上最強ともよばれる「野武士軍団」をつくり上げてみせるのだ。

 

 藤本によると三原は巨人や宿敵・水原茂に対する恨み事を一切、口にしなかった。「藤本君、僕は大リーグに匹敵するチームをつくりたいんだ」。想いはいつも海の向こうにあり、そのための方策を、これはどうかね、と披露するのが常だったという。魔術師はマジックのタネを、いつも探していたのだ。

 

 これまた藤本によると、強打で鳴る豊田泰光の2番起用も打倒大リーグ対策のひとつ。「1点くらいじゃすぐにひっくり返されてしまう。まとめて点をとらないことには(大リーグのチームに)勝てない、という思いが三原さんにはあったんです」。今から70年前の話だ。

 

 最近になって考える。三原の言う「中原」とは「東京」ではなく、海の向こうの「野球の本場」だったのではないか。そこに三原独自の世界観、人生観、そして没後弟子言うところの「大局観」を見てとることができる。

 

<この原稿は21年12月8日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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