今回の白球徒然・HAKUJUベースボールスペースは、第140回に引き続き20年と21年、BCリーグ石川ミリオンスターズ(MS)で指揮を執った白寿生科学研究所人材開拓グループ長・田口竜二さんに話を聞きました。2年間、石川MSの指揮官を務めた田口さんの目に映った独立リーグの今、そして将来は?

 

 「楽観主義者であれ」

 私が良く選手に言ったのは「楽観主義者であれ」ということです。楽観主義と悲観主義、どちらが社会で成功しているかと言えば、当然、楽観主義者の方なんです。これは何も私が勝手に言っていることではなく、ちゃんと研究者によって実証されています。それに関するいろいろな書物も出ているので、私は選手たちにも読むことを勧めました。「オプティミストはなぜ成功するのか」という本や、その他、いろいろと。中には「監督、勧めてもらった本、ちょっと難しかったので、もっと簡単に読めるものはないですか」と言ってくる選手もいました。体育会あるある、ですね(笑)。そういうときには、わかりやすく書かれた本を勧めました。

 

 先にも言いましたが、私は選手を教えないし、ああしろ、こうしろとも言わない。長年、野球をやってきた選手としては「なんだこの監督は」と戸惑った部分もあるでしょう。でも、自分のことなんだから自分で考えるのは当たり前です。それを野球界はないがしろにしてきた結果、指示待ちばかりが増えてしまったんじゃないですかね。

 

 楽観主義と言いましたが、やっぱり独立リーグに来る子は悲観主義が多いんですよ。それはそうですよね。野球の技術は優れていても、でもNPBには行けてないわけですから。野球人生のどこかで「オマエはダメだ」「オマエには無理だ」と、目標を否定されたことも多々あったでしょう。

 

 監督として、そういう部分も変えたかったんです。メジャーリーグの監督の話を聞いたり、本で読んだりすると、彼らは優秀なモチベーターです。モチベーションを持って取り組むことで、人は目標に向かっていける。これも多くの研究で証明されていることですが、メジャーの監督はそれを実践している。

 

 たとえば負けた試合の後、「今日は今日だ」と切り替えを促す。良い監督というのは負けたときにこう言うそうです。「相手のピッチャー、今日のあいつを打つのは無理だったな」と。「今日の」というのがミソなんです。こういう監督がいるチームは強いんですよ。「今日のあいつ」は打てないけど、「次に対戦したときのあいつ」を打ってやろう、と。弱いチームの監督が「あいつを打つのは無理だな……」と悲観主義になってしまうのとは対照的です。

 

 石川に青山僚太朗というピッチャーがいます。21年に関東学院大から入り、身長188センチの長身右腕です。体が立派だから良いボールを放るんです。でも、最初はいわゆるブルペンエースでした。ブルペンではビシッと精度の高いボールが行くのに、それがバッティングピッチャーをやらせたりシートバッティングに登板させると、いきなりフォアボールを連発する。

 

 彼もフォアボールをひとつ出したら「次も出してしまうのでは」と後ろ向きになっていた。それで「オマエ、もっと楽に考えろ。次は大丈夫だと切り替えろ」と。そして楽観主義について書かれた本も勧め、それで徐々に変わっていきました。

 

 シーズンが始まったばかりのころは34イニングで31四球でしたが、終わってみれば82回1/3で50四球に収まりました。終盤には7回無四球ピッチングもやってのけましたよ。聞いたら「無四球なんて人生で初めてです」って。

 

 彼にも「コントロールはこうやって磨くんだぞ」ということは教えていません。生き方や考え方を説き、そして本を勧めて、質問をしてきたらまた会話をした。それだけです。

 

 初めて接した選手たちは戸惑ったことでしょうが、でも、こういう監督像が本来の姿なのかなと思います。独立リーグを卒業し、将来、どこかで指導者となった彼らが、選手たちに「考えること」の大切さを説いてくれたら、野球界も新しくなっていくんじゃないですかね。

 

 さて、石川ミリオンスターズの21年シーズンについても振り返っておきましょう。25勝34敗、勝率4割2分4厘で西地区3位でした。防御率は地区2位でしたが、チーム打率が4位。投打のバランスが悪く、上位進出はできませんでした。

 

 コロナ禍で東、中、西の3地区にわかれ、地区同士の交流がなかった20年に引き続き、同地区だけの対決となりました。去年も言いましたが信濃や新潟、栃木といった他地区の強豪と試合をしたかったですね。強いチームとやることで選手は学ぶことも多く、それが成長につながりますから。それに栃木の川崎宗則などNPB出身者とも交流がしたかった。

 

 川崎はホークスの後輩ですから、もし試合があったら「ちょっとうちの選手を見てくれよ」とお願いすることもできました。川崎に見てもらい、そしてアドバイスでもされたら、そりゃあ選手は嬉しいですからね。でも、そんなことも叶わないまま私のBCリーグ監督生活は終了となりました。

 

 残した選手たちのことは、もちろんこれからも注目していきますよ。去年のインタビューで「3年計画でNPBへ」と言った植幸輔や、3年目を迎える内野手の川﨑俊哲がどう伸びるのか楽しみです。また関東学院大から入ったルーキーの岡野竜也(投手)や、大阪産業大からは"二刀流"が入ってくるとも聞いています。

 

 今後はまた白寿に戻り、これまで通りアスリートのセカンドキャリア支援、大学生の就活支援などに取り組んでいきます。もちろん白寿が先鞭をつけたBCリーグでのセカンドキャリア支援は継続し、そしてスポンサーとしてもリーグを支えていきます。

 

 22年は石川、福井、滋賀、富山の4球団がBCリーグと袂を分かち、新リーグ・日本海オセアンリーグとして活動します。西地区だけが他地区との交流が行われないまま進んだ21年シーズンのこともあり、この新リーグ設立は当然の流れだったと思います。新リーグではいろいろと新しい取り組みを実施していくと聞いているので、こちらも動向が楽しみです。

 

 社会人野球の企業チームが減少している昨今、高校生、大学生の受け皿としての役割も独立リーグは担っています。そこからNPBへ旅立った先輩たちの努力によって、リーグの認知が進み、今では大学の監督から「独立に行かせたいんだけど」と相談を受けることも少なくありません。

 

 四国、九州、BC、そして日本海と独立リーグが増えることで、また日本の独立リーグの将来も変わってくることでしょう。2年間という短い付き合いでしたが、監督として接した全ての独立戦士の未来に幸多からんことを願います。

 

田口竜二(たぐち・りゅうじ)

1967年1月8日、広島県廿日市市出身。1984年に都城高校(宮崎)のエースとして春夏甲子園出場。春はベスト4、夏はベスト16。その年の秋、ドラフト会議で南海ホークスから1位指名され、プロ入り。2005年、退団。球団スタッフを経て、現在は株式会社白寿生科学研究所人材開拓グループ長としてセカンドキャリア支援を行なっている。20年、21年は白寿生科学研究所から出向するかたちでBCリーグ石川ミリオンスターズの監督として指揮を執った。

 

(取材・まとめ/SC編集部・西崎)


◎バックナンバーはこちらから