11月28日(日)の夕刻、試合終了を告げる笛の音と共に、愛媛FCのJ3降格が確定した。

 

 J2第41節、アウェイにて水戸ホーリーホックと対戦した愛媛FC。J2残留への一縷の望みを賭け、チームとサポーターが一丸となって、最後の最後まで死力を尽くして戦ったが、試合終了間際、相手チームに逆転ゴールを奪われ敗戦。

 

 この結果、愛媛FCは16年間籍を置いた「J2」を離れ、来シーズンは下部カテゴリーである「J3」へと戦いの場を移すことになってしまった。

 

 地元マスコミが、愛媛FCのJ3降格を大きく報じる中、現実を受け止めることができず、自問自答を繰り返す日々である。

 

『悪夢なら早く覚めてくれ!』

 

 長きに渡り積み上げてきたものが、一気に崩れ去ったかのような喪失感に苛まれ、ショックは未だ癒えてはいない。

 

 愛媛FC創設以来、「降格」という屈辱を味わったのは今回が初めて。私も愛媛FCのサポーターを始めて約23年が経過するが、これまで「四国リーグからJFLへの昇格」そして、「JFLからJ2への昇格」という歓喜の瞬間に立ち会ってきただけに、今シーズンの結果は、クラブの存在価値を否定されたかのような感覚にも囚われ、とても悲しいし、残念でならない。

 

 愛媛FCが歩んできた道のりを振り返れば、上位カテゴリーへの昇格やプロチーム化を目指す中、数多くの選手やスタッフ、ファンやサポーター、支援者(協賛スポンサーなど)が力を合わせ、汗水を流し、クラブを支えてきた歴史がある。

 

 16年前、私も発起人として活動した「愛媛FCのJリーグ入会」を要望する署名活動では、20万人を超える方々にご協力をいただいたことも大きな感動と共に記憶に刻まれている。

 

 にもかかわらず、今季は沢山の方々の想いや期待を裏切るような結果となってしまい、本当に申し訳なくて辛い。だからこそ、今まで愛媛FCに携わってきてくれた皆さんのためにも、早期のJ2復帰を果たさなければならない。今から既に使命感に駆られている。

 

 皆さんは、J3の「ロゴ・マーク」をご存知だろうか。各クラブのユニフォームの右袖にプリントされているJリーグのカテゴリーを表すマークだ。J1とJ2に比べて、J3のロゴ・マークはデザインが大きく異なっている。アルファベットの「J」を模した部分の配色も異なるし、数字の「3」を模したデザインがサイドに足されていて、Jリーグ発足時から長年「Jリーグ・ロゴ」を見てきた自分にとっては違和感を覚える。

 

 2006年シーズン開幕前、悲願のJ2リーグ昇格を果たした愛媛FCの新ユニフォームが発表された際、右腕に刻まれた「Jリーグ・ロゴ」を見て、涙を流していた事務局スタッフやサポーターの姿を、今でも思い出す。

 

 J3のロゴデザインが悪いとは思わないが、四国リーグ時代、私たちが憧れ、恋焦がれて欲しくてたまらなかったのは「Jリーグ・タイトルマーク」。

 

 あの「Jリーグ・ロゴ」を手に入れるため、当時の私たちは、過酷な環境に耐えながら日々、頑張ってきたし、J2昇格後の16年間は、守り続けてきた強い想いやプライドがあった。

 

 上位カテゴリーへの昇格を目指している他の方々とは、感覚が異なるのかもしれないが、どうしても「Jリーグ・ロゴ」を私たちの手で取り返したい。決して簡単な道のりでないことも理解しているし、厳しい現実に立ち向かうことになるが、今こそ、愛媛サポーターの真価が問われる時だと感じている。愛媛FCに携わる方々、かつて情熱を持って応援や支援をされていた方々、そして愛媛FCを愛する皆さん、今一度、愛媛FCに力を与えてください。皆で力を合わせて、私たちのユニフォームへJ2の「ロゴ・マーク」を取り戻しましょう!

 

<松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール>

1967年5月14日、愛媛県松山市出身。愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。


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