「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」

 

 

<この原稿は2022年1月10日、17日合併号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 

 2020年2月に84歳で世を去ったノムさんこと野村克也さんが好んで使った言葉だ。

 

 元々は関東大震災からの帝都復興計画などに尽力した政治家・後藤新平が死の間際に残した言葉だと言われている。

 

 博識のノムさん、どこかでこの言葉と出会ったのだろう。

 

 数多いる野村門下生の中でも、ヤクルトの5度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献した古田敦也は、同じ捕手出身者ということもあり、他のどの選手よりもノムさんからは厳しい指導を受けた。ベンチに立たされたまま説教をくらったこともある。

 

 21年12月11日に東京・神宮球場で行われた「野村克也をしのぶ会」では「時に厳しく、特に厳しく。そして、ずっと厳しい指導でした」と遺影を見つめながら、弔辞を読み上げた。

 

 古田は90年に社会人野球のトヨタ自動車からドラフト2位でヤクルトに入団し、1年目からレギュラーの座を確保するのだが、12月6日に85歳で他界した元スカウトの片岡宏雄さんによると、当初、ノムさんは古田の指名に乗り気ではなかったらしい。古田を指名することを告げた片岡さんに、ノムさんはこう語ったという。

 

「眼鏡のキャッチャーはいらん。大学出で日本代表だからと言っても所詮、アマチュア。プロはそんなに甘くない。それなら元気のいい高校生捕手を獲ってくれ。ワシが育てる」

 

 ノムさんが、そう言ったのも無理はない。自身以外にも、V9巨人の森昌彦、西武黄金期の伊東勤など常勝チームのキャッチャーと言えば、高卒で入団し、厳しい指導を経て一人前になった者が、ほとんどだったからだ。

 

 その意味で古田は「球界の常識を覆したキャッチャー」でもあるわけだが、私が知る限りにおいて入団以降、ノムさんが古田の眼鏡に言及したことは一度もない。密かに反省していたのかもしれない。

 

「先入観は罪、固定観念は悪」

 

 これもノムさんが残した名言である。

 


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