なぜJリーグは生まれたのか。

 負けたから、だった。

 

 ロス五輪予選では、タイのピアポンにハットトリックを食らった。

 

 W杯メキシコ大会予選では韓国に手も足もでなかった。

 

 2年後、雨の国立で中国に完敗してソウル五輪出場を逃した。

 

 どの負けも、痛恨だった。だからこそ、Jリーグは生まれた。自然発生的に誕生した欧米のプロリーグと違い、国際競争力の強化という明確な目標があったがゆえ、Jリーグは生まれた。

 

 2月1日は、旧正月だった。

 

 多くの日本人にとって、元日が大切な一日であるように、中華文化圏で生きる人々にとっても、旧正月は特別な意味を持っている。今年も、多くの人が休暇を取り、家族団欒のひとときを過ごしたに違いない。

 

 そんな日に、中国代表は負けた。ここまで1勝どころか1勝ち点すらあげられていなかったベトナムに、どうやっても勝てるはずがないという内容で惨敗した。

 

 これまで、日本サッカーもそれぞれの時代で痛恨の1敗を喫してきた。だが、22年2月1日に中国代表が犯したほどの大失態は……おそらく、ない。

 

 だとしたら、この敗北をきっかけに、中国サッカーは変わるかもしれない。変えなければいけないという声が、一気に高まるかもしれない。

 

 なぜ中国は強くならないのか。なぜ日本のようにならないのか。中国のサッカー関係者からそう問われた日本人は少なくない。答えはもちろん一つではないし、また、答えがわかったところでそれが解決につながるとも限らない。

 

 子供の頃、共産主義の国はW杯で優勝したことがない、という事実と、推察される原因を聞いたことがある。自由な発想に制限のかかる国で育った人間が、自己判断の連続となるサッカーで勝てるはずがない、というのだ。実際、21世紀になった今も、W杯で優勝する旧東側諸国は現れていない。

 

 ただ、今回中国を倒したのはベトナムだった。同じ主義を信奉してきた、しかし、中国よりずっと小さな国だった。中国人にとっては、それもまた衝撃だろう。

 

 対戦相手、もしくは第三者として見た今回の中国は、求心力の感じられないチームだった。誰が軸なのか、要なのかは最後までわからなかった。何より、W杯予選を戦うという熱量がまるで感じられなかった。一言で言えば、烏合の衆。

 

 もしわたしが中国人で、今回の敗北に強烈な衝撃を受けていたとしたら、代表チームのあり方自体を変えてくれと訴える。

 

 たとえばカーリングのように、国内予選を勝ち抜いたチームをそのまま代表とする。全土から優秀な選手を選抜するのではなく、国内リーグで優勝したチームに数人をプラスする。つまり、母体は単独チーム。中国人選手の底上げを図るために、出場できる外国人の数を削減する必要もあるかもしれない。

 

 アジアには、中国より弱い国が数多ある。だが、中国ほどチームに一体感のない国は、ちょっとない。それが、大きすぎる国に原因があるとするならば、そこにメスを入れなければ――とわたしだったら考える。

 

 大きなお世話? いや、そうでもない。強くなった中国を叩きつぶすことで、日本もより強くなれるから。

 

 

<この原稿は22年2月3日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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