野球殿堂の競技者表彰は「プレーヤー表彰」と「エキスパート表彰」の2部門に分かれるが、今年は前者で歴代2位の286セーブ、日米通算313セーブを記録した現東京ヤクルト監督の高津臣吾と、史上最年長勝利(49歳25日)を含む通算219勝を挙げた元中日・山本昌が選ばれた。

 

 

<この原稿は2022年2月7日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 

 2人には共通点がある。ボールが遅く、さして将来を嘱望された選手ではなかった。それが自らの代名詞とも呼べる変化球をひとつマスターしたことで、運命の歯車が好転し始めたのだ。

 

 まず高津だが、それはシンカーである。3年目のシーズンを迎える前、監督の野村克也に「オマエ、100キロくらいの緩いボールを投げてみろ。その方が抑えられるぞ」とアドバイスされ、試行錯誤の末に身に付けた。高津がクローザーとしての地位を手に入れたのは、このボールをマスターしてからである。

 

 ノムさんが高津の能力に限界を感じたのには理由がある。プロ1年目の巨人・松井秀喜に「オマエのストレートがどれくらい通用するか勝負してみろ」とストレート勝負を命じたところ、ライナー性のホームランを打たれたというのだ。

 

「高校を出たばかりのルーキーに打たれるのだから、オマエのストレートはそんなもんだ」

 若き日の挫折が殿堂入りにつながったのである。

 

 高津がシンカーなら、山本はスクリューボールだ。同じ系統の変化球で、チェンジアップに分類されることもある。

 

 山本はこれを米国留学中に覚えた。留学といえば聞こえはいいが、山本によると“島流し”だった。

 

 だが、ドジャースのベロビーチキャンプで、山本は運命的な出会いを果たす。ドジャースの球団職員だったアイク生原に「新しい変化球を覚えろ」と指示され、中南米出身のチームメイトに教えを乞うた。

 

 このボールをマスターして帰国すると、いきなり5連勝。舶来のウイニングショットが、山本をエースに導いたのだ。人間万事塞翁が馬である。

 


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