1606okabayashi27 高く飛ぶための準備はできていたはずだった。だが、そのチャンスは浮かんでは消え、浮かんでは消えてしまう。ここで気持ちがボキッと折れてもおかしくはない。岡林裕二にとって2013年は、そんな年だった。レスラーとして羽ばたく機会を、お預けされたまま新年を迎えることになった。

 

(2016年6月の原稿を再掲載しています)

 

 年が明けて岡林は、海外に向かう。ドイツの興行に参戦するためだった。13年の鬱憤を晴らすようにリングで暴れ回る。持ち前のパワーファイトで、相手を追い込んだ。フィニッシュにはトップロープから相手目がけてダイブする迫力満点の「ゴーレムスプラッシュ」を、ドイツの地でも披露しようとしていた。

 

 ところが、敵に大ダメージを与える必殺技は諸刃の剣でもあった。慣れないリングということもあったのだろう。高く飛び過ぎたあまりに着地を失敗してしまう。両足が相手の肩に乗り、身体は仰け反った。岡林の左肩はバリバリッと音を立てた。すぐにフォールして、3カウントを聞いたが、勝ち名乗りを上げる余裕はなかった。岡林の前に試合を終えて控室に戻っていた橋本和樹が慌てて駆け付け、担がれてリングを後にする。

 

 帰国して医師に診断を仰ぐと、「左肩関節唇損傷、腱板損傷」――。全治は1年だった。目前に迫っていたタイトルマッチどころか、シリーズ、シーズンを棒に振ることなる。しかし、岡林は意外なほど落ち着いていた。

「その時は正直、“ちょっと休めるな”という感覚でした。もちろん、ケガしたばかりのときは“最悪や”と思ったんですが、それも考え方を変えることができました“ちょっと休んで、周りを見るいい機会や”と思ってゆっくり休むことにしました」

 

 必要だった“助走の時間”

 

1606okabayashi8 休むといっても、大日本プロレスの興行があれば会場の設営や運営を手伝った。リングサイドで他のレスラーの試合を目にしながら、これからどういうことをすべきかと考えていた。無我夢中で走り続けていた岡林にとって、一呼吸を入れられるタイミングとなったのだ。

 

 伴侶を得ていたことも岡林には幸いした。彼が焦らずにいられたのは、12年に結婚した美佳夫人の存在を抜きにしては語れない。

「もう本当にね、妻のサポートのおかげですよ。もしいなかったらモチベーションも保てなかった。1人でいろいろなことをするのは、大変じゃないですか。ケガをしているので、なるべく日常生活は自分で動きたくない。そこを妻がサポートをしてくれたおかげで、自分は復帰のことだけを考えることができたんです。本当に助かりましたね」

 

 地元・高知県からは励ましの便りが届いた。凱旋興行へ行く度に講演をしている長岡小学校の生徒から手紙をもらった。「あれは本当にうれしかった。かなり力になりましたね」。岡林にとってファンや子供たちの声はガソリンみたいなものだ。

「『元気もらっています』とか『岡林さんのファイトを見て熱くなりました』という言葉を聞くと、“オレももっとやらないかん”と思いますよ」

 

1606okabayashi15 岡林は周囲からの“エール”を養分に力を蓄えていった。試合が決まらずモヤモヤした日々も、ケガから復帰するまでの時間も彼にとっては必要な“助走”だったのかもしれない。すべては岡林がプロレス界で高く飛ぶために――。

 

 結局、復活まで1年を要しはしなかった。再び走り出した岡林。ドイツで誤爆した「ゴーレムスプラッシュ」にも恐怖心に打ち克ち、すぐさま披露した。頂点目がけて駆け出した彼を止められる者はいない。同世代の河上隆一とのBJW認定ストロングヘビー級王座挑戦者決定戦を制した。そして7月20日、特別な日を迎える。

 

 特別な日に戦った特別な相手

 

 20周年記念興行「両極譚」は大日本プロレス史上初の両国国技館で開催された。団体にとっても今後の命運を分けるような大事な興行で、岡林はメインカードを務めた。対戦相手は第6代BJW認定ストロングヘビー級王者・関本大介だ。岡林にとって大日本プロレス入りのきっかけとなった憧れの存在であり、プロレスのイロハを教わった師でもある。

 

「練習の時とかコテンパンにされて、容赦ないんですよ。こっちが攻めても全然効かない。それまではそういうイメージがずっとありました。でも1年目で初めてシングルをやった時に、やられはしましたけど追い詰めた分もあった。自分の中で成長を感じましたね。“練習をした成果が出ている”と」。岡林の技が効いていることは相手の表情を見れば分かった。練習ではいとも簡単に倒されていたタックルにも耐えることができた。プロレスラーとしての分岐点にはいつも関本が近くにいた。

 

1606okabayashi29 黒のリングコスチュームがリング上で交じり合う。力と力の対決。何にも染まらぬ色同士が互いの個性を主張する。チョップ、エルボー、タックル……。シンプルな打撃戦で会場に闘いの協奏曲が奏でられる。両国に詰めかけた観衆も固唾を飲んで、勝敗の行方を見守った。

 

 関本の技には説得力がある。派手さはないシンプルなものが多いが、破壊力は抜群だ。岡林曰く「ひとつひとつが重い。全身で戦うイメージです。何をするにも手の先だけじゃなくて全身で、頭のてっぺんからつま先まで力を持ってくる」という凝縮された力技を仕掛けてくる。最後までリングに立っているのはどちらか。2人の根比べは続いた。

 

「勝つか負けるかはわからなかった。でも勝てるんじゃないかという感覚はありました。いい感じで試合に臨めたこともありましたが、“この猛攻を耐え切ったら絶対いける!”と途中から感じましたね。前だったら一発食らっただけでも、力が入らない状態になった。この時もメチャメチャやばかったですけど、力は入っていたので反撃はできました。関本さんの顔色も変わってきたし、“いける!”というのがわかった。“このまま耐えしのいだら絶対勝てる”と」

 時計の針が進むにつれ、自信は確信に近いものに変わっていった。一心不乱に戦って、勝利を目指した。

 

1606okabayashi28 終盤、互いに頬を張り合う。岡林の左が炸裂すると、関本がグラついた。機を見るやいなや岡林はラリアットでなぎ倒す。すぐに丸めこむが、関本に3カウントの前に返された。続けて岡林はトップロープに上り、「ゴーレムスプラッシュ」を見舞う。いつも以上に高く、遠くへ飛ぶ。その巨体を浴びせたが、関本は本能で返した。次々に必殺技を繰り出し岡林はすぐに立ち上がると、関本を起こして抱え上げる。高角度に掲げたパワーボムで関本をリングに叩き付ける。渾身の一撃が決まると、そのままフォールの体勢に入る。レフェリーがマットを力強く叩く。1、2、3。試合終了を告げるゴングが打ち鳴らされ、岡林の勝利が確定した。

 

「大日本の夜明けは近いぜよ!」

 岡林はリング上でそう高らかに叫んだ。「関本さんからスリーカウントを取った瞬間から、“オレが時代を作っていくんや”という気持ちにすぐなりましたね」。7代目の新王者は新たな時代の幕開けを宣言した。

 

 ストロングの系譜

 

 特別な相手から奪い取ったベルト。手にした1勝はただの1勝ではない。「本当にそれだけのすごい人ですから」と岡林は口にする。王者に就いたということは大日本プロレスを牽引していく使命を背負うことになる。関本が通ってきた道を岡林も歩む。名実ともに大日本プロレスの顔になった瞬間だった。一方、敗れた関本も他団体のマットで大暴れする。12月にはリアルジャパンプロレスのレジェンド・チャンピオンシップを獲得。今年4月には全日本プロレスのリーグ戦「チャンピオン・カーニバル」を制した。

 

1606okabayashi6「勝ちましたけど、やっぱり自分の中ではまだ超したつもりはないですからね。いつも思うんですけど、手が届きそうになったら、ドンと上に行く。なかなか追いつけないんです」と岡林。最前線を走って道を切り拓く師の背中を岡林は追いかける。大日本プロレスのストロングの系譜は、関本から岡林へ受け継がれていっている。岡林もまた後輩たちにそれを伝えていかねばならない。

 

 今年5月に3度の防衛を果たした王者・岡林。挑戦者に名乗りを上げたのは、神谷英慶だった。6月の新木場大会で“破壊王”橋本真也の息子である橋本大地との死闘を制して岡林への挑戦権を得た。その戦いぶりは岡林が「言葉が出なかった」と衝撃を受けるほどだった。両者は7月24日の「両極譚」での対戦が決まった。

 

 岡林は神谷に対し、「日に日に成長していることを肌で感じています」と嬉しそうに語る。実は4年目の神谷とは浅からぬ縁がある。大日本プロレスの道場で自らが鍛えたレスラーであり、神谷のデビュー戦にはタッグパートナーを務めた。岡林は「正直、打たれ弱いというか、気持ちが折れやすかった。“もっと来いよ”という感じでしたね」と振り返る。当時は物足りなさを感じていた後輩は、いつしか立派なファイターに変わっていた。「一発張ったら、二発返ってくる」。今では向こう気の強いファイトスタイルで、大日本プロレス期待のホープに成長した。

 

1606okabayashi10 昨年12月に横浜文化体育館でベルトをかけて戦った。岡林は初防衛戦だったこともあり、「やっと勝ったという感じ」と神谷に苦戦した。あれから8カ月の時を経て、両者のリマッチが決定。「あれからどれぐらい成長しているのか楽しみでもありますね」。その言葉は神谷に対してだけでなく、自らに向けた言葉でもあるのかもしれない。メインイベントになるか、その直前のセミファイナルになるかはまだ決まってはいない。岡林は「すごいものを見せるのは変わらない」と鼻息は荒い。

 

「自分の場合は単純明快なパワーファイターなので、誰が観てもすごいと思えることをしたい」。それが岡林のプロレス哲学である。幼少の頃、10kgあるミカン箱を運んだ時も周りの大人に褒められたことがうれしかった。中学生になると単純な強さに憧れた。勝利に対する欲のなかった少年は、とにかく誰にも負けたくないというレスラーになった。すべては人に認められたい――。その欲求が彼の強さの源となっているのかもしれない。岡林の背中を押すファンの声が、彼をさらに高みへと飛ばさせる。

 

(終わり)

 

>>第1回はこちら

>>第2回はこちら

>>第3回はこちら

 

 

1606okabayashi4岡林裕二(おかばやし・ゆうじ)プロフィール>

1982年10月31日、高知県南国市生まれ。相撲、柔道を経て、高校からウエイトリフティングを始める。高知中央高校時代は3年時に全国高校総合体育大会94kg級で6位入賞。卒業後は自衛隊体育学校に入校し、06年の全国社会人選手権で同級3位に入った。08年にプロレスラーを目指し、大日本プロレスに入団。同年6月にデビューすると、09年には関本大介と組んでBJW認定タッグ王座を獲得。自身初となるチャンピオンベルトを手にした。10年にプロレス大賞の新人賞を受賞。11年3月には関本大介と組み、全日本のアジアタッグ王座を獲得するなど、最優秀タッグ賞に選ばれた。15年7月にBJW認定ストロングヘビー級王座を初奪取。同年のプロレス大賞では敢闘賞を受賞した。身長178cm、体重120kg。

 

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

shikoku_kouchi[1]


◎バックナンバーはこちらから