「私の履歴書」といえば日本経済新聞の名物連載だが、川上哲治、西本幸雄、鶴岡一人(故人)、稲尾和久(故人)4氏の自伝を一冊にまとめるにあたり、解説を依頼された。「神様」に「闘将」に「親分」に「鉄腕」――。コピーライターなどいない時代、誰が名付けたか知らないが、どれも名ニックネームである。4氏の人物像が、この2文字に全て凝縮されているといっても過言ではない。

 今は亡き稲尾和久の項で私はこう書いた。<「怪物」や「豪腕」はゴロゴロいるが、「鉄腕」と呼ばれた男は後にも先にも稲尾和久ただひとりである。>
 通算276勝(137敗)という成績もさることながら、3599イニングを投げて通算防御率1.98という数字は野球の常識においては考えられない。1961年には42勝(14敗)を挙げている。いくら先発完投が当たり前の時代だったとはいえ、どうすればこれだけ勝てるのか。「それは鉄腕だから」と答えるしかあるまい。

「平成の鉄腕」「鉄腕2世」と呼ばれているルーキーがいる。福岡ソフトバンクの大場翔太だ。彼のピッチングは東洋大時代に何度か見たことがある。今年のルーキーの中では頭ひとつ抜けている。神宮大会での3連投3完投には舌を巻かされた。1年目から2ケタ勝っても少しも驚かない。それどころか、北京のマウンドで日の丸を背負って投げているかもしれない。

 しかし、である。彼を「鉄腕」と呼ぶのにはいささか抵抗感がある。「鉄腕」は後にも先にも稲尾和久ただひとりである。「鉄腕」に昭和も平成もない。2世も3世もない。「ミスター」といえば、それは長嶋茂雄を指すように、「トルネード」といえば野茂英雄の代名詞であるように、「鉄腕」は稲尾和久のいわば“登録商標”である。大場には大場にふさわしいニックネームがあるはずだ。

 それに、だ。「〜2世」と呼ばれた選手で本家を超えたという例は寡聞にして知らない。「江夏2世」「江川2世」「掛布2世」…。そう呼ばれた選手を何人か知っているが、大体、数年で球界を去っている。
 大場翔太には「稲尾2世」ではなく、あくまでも「大場1世」として新時代を切り開いて欲しい。それだけの器なのだから…。

<この原稿は08年2月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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