日本人選手として初めて競技会で四回転ジャンプを成功させるなど、日本の男子フィギュアスケート界を牽引した本田武史さん。プロ転向後、解説者としても活躍する本田さんと当HP編集長・二宮清純が、北京冬季五輪を振り返りつつ、フィギュアスケートの魅力について語り合う。

 

二宮清純: 北京冬季五輪のフィギュアスケートでは、男子は鍵山優真選手が銀メダル、宇野昌磨選手が銅メダル、女子は坂本花織選手が銅メダルを獲得しました。団体でも銅メダルを手にするなど日本勢はすばらしい結果を残しましたが、特に注目されたのは羽生結弦選手でした。ショートプログラムで4回転サルコウに挑戦した瞬間、エッジ(スケート靴の刃の氷に接する部分)が穴に引っかかって1回転になるアクシデントがありました。こんなことは普通起こり得るのでしょうか。

本田武史: ほとんど聞いたことがありません。確率的にはものすごく低いことです。

 

二宮: あの穴は、誰か他の選手が演技したことによってできた穴だったのですか。

本田: 羽生選手の演技は、製氷作業後でした。エッジ系のジャンプをする時は、氷の表面の溝が深くなりがちなので、穴埋めをして、さらにその上から氷を削りながらお湯をまき、表面を溶かして滑らかにします。本来、その時点で穴や溝はほとんどなくなっているはずなんです。

 

二宮: そうすると製氷作業後の6分間練習で穴ができてしまったと?

本田: こればかりは何とも言えないですね。私が見た感じでは、穴というよりも溝にハマッた感じでした。前の選手が跳んだ溝のカーブにエッジがハマッてしまうと、自分が跳びたいタイミングとズレることがあります。ただ、それも頻発はしません。いずれにしてもあのアクシデントは、運が悪かったとしか言いようがないと思います。

 

二宮: でも、さすがだなと思ったのは、そのあとうまくまとめたことです。これはタラレバの話になってしまいますが、あの失敗がなかったら、ショートプログラムで8位ということはなかったのでは?

本田: ノーミスだったら108点、あるいは110点にはなったと思います。110点出れば、ネイサン・チェン選手(金メダル)と4点差で、フリースケーティングで勝負できた可能性がありました。ただ、今回のチェン選手は強かったです。練習の時から落ち着いていたし、自分のやるべきことに集中していました。

 

二宮: これも仮定ですが、羽生選手がショートでミスせず、かつフリーで4回転アクセルを成功させていたら、優勝の可能性はありましたか。

本田: チェン選手のプログラムは、勝つために基礎点の高いジャンプを組み込んでいました。しかも、フリーではコンビネーションのミスがひとつだけありましたが、それ以外は完璧でした。仮に羽生選手が4回転アクセルを成功させたとしても、優勝は難しかったように思います。

 

二宮: 羽生選手の4回転アクセルの完成度は、本田さんから見てどうだったでしょうか。

本田: 本人も成功したことがないと言っているので、完成度は8割ぐらいじゃないでしょうか。

 

二宮: なるほど。練習でも成功していないわけですから、五輪の本番でも難しいだろうと周囲は思っていたはずです。にもかかわらずチャレンジしたのは、それだけ本人に強いこだわりがあったと?

本田: 本人の幼い頃からの夢ですからね。もっとも、練習で一度も成功していないのに、本番で突然成功することが意外とあるんです。本番ではいつも以上にアドレナリンが出て、ピンポイントの集中力が生まれたりするからでしょうね。

 

二宮: 羽生選手はフリー前日の練習で足首をけがして、痛みを抱えたまま演技していたようです。事実、かなりきつそうに見えました。

本田: どの程度のけがだったのかは分かりませんが、もし靭帯にまで痛めていたとすれば、その影響は大きかったでしょう。

 

二宮: 考えてみれば、フィギュアは片足で着地します。しかも、試合だけではなく練習でも毎日のようにやっているわけですから 、足首への負担は大きいでしょうね。

本田: はい。私も年中、足首を捻挫していました。でも、スケート靴を履くとギプスのように固定されるので滑れてしまうんです。

 

二宮: 今回期待以上の活躍を見せてくれたのが、銀メダルを獲得した鍵山選手でした。18歳で初めての五輪なのに、実に堂々としていました。彼の一番優れた点は、どこでしょう?

本田: スケーティングの滑らかさです。無駄な力や力み見られない。加えてジャンプにも勢いがあり、瞬発力も兼ね備えています。

 

二宮: 年齢を考えても、あと2回くらいは五輪に出場できますね。

本田: いけると思います。フィギュアは、20代後半が最後の五輪になることが多いですから。

 

二宮: 20代後半がラストですか。他競技に比べ、フィギュアの選手寿命は短いですね。

本田: 20歳を超えると、体のキレや回復力が落ちます。私も10代の頃は、フリーの通し練習を何度やっても大丈夫だったのに、20代になったら通し練習を2回やっただけで突かれました(苦笑)。

 

二宮: チェン選手は今回、引退するのでしょうか。それによって世界の勢力図が大きく変わってくるような気がします。

本田: 引退は発表していませんが、学業のほうに気持ちが傾いているようですね。その上で五輪が終わると毎回ルール変更があります。今回はかなり大幅な改正が予想されるので、その内容次第で有利不利いろいろな条件が変わってくると思います。

 

二宮: 今はジャンプ重視の採点になっているように感じますが、そのあたりも変わりますか。

本田: 可能性はあります。今は4回転の種類が多い選手が有利ですが、今後はまんべんなく演技することも必要になるかもしれません。

 

二宮: ジャンプが抑制されるということですか。

本田: 抑制というか、ジャンプの基礎点が下げられる可能性があります。

 

二宮: 4回転アクセルにこだわってきた羽生選手からすれば、「4回転アクセルはもっと点数が高くてもいいのに」と思っているかもしれませんね。

本田: そこなんです。4回転ルッツが11.5点で、4回転アクセルが12.5点。4回転ルッツを跳べる選手は多いのですが、4回転アクセルはまだ誰も成功させていません。にも関わらず点差が1点というのは、モチベーションが上がらないでしょう。もう少し点数を高くしないと、いずれ誰も挑戦しなくなってしまう。一方で、難度の高いジャンプはそれだけリスクがあり、選手生命を縮めてしまう怖さもあります。

 

二宮: ジャンプへのモチベーションと選手生命へのリスク、そのバランスが難しいですね。

本田: また、フィギュア本来の芸術性が希薄になっていることも、問題になっているようです。本当は女子シングルでサラエボ(1984年)、カルガリー(1988年)と五輪を連覇したカタリナ・ヴィットさん(旧東ドイツ)のように、芸術性が高いスケートをしながら高難度の技をやるというのが理想だと思います。

 

(詳しいインタビューは4月1日発売の『第三文明』2022年5月号をぜひご覧ください)

 

本田武史(ほんだ・たけし)プロフィール)>

1981年3月23日、福島県郡山市出身。スピードスケートを習っていた兄の影響で、7歳の時にショートトラックを始める。翌年にフィギュアスケートに転向し、96年の全日本フィギュアスケート選手権で初優勝(通算6回優勝)。98年長野五輪代表(15位)、99年四大陸選手権優勝。2002年、03年の世界選手権では2大会連続で銅メダル獲得を獲得した。02年ソルトレークシティー五輪4位入賞。4回転ジャンプを日本人選手として初めて競技会で成功させ、03年の四大陸選手権では2種類3度の4回転に成功した。06年にプロ転向を表明。現在はプロスケーター、スケートコーチ、解説者として活躍中。


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