昨夏の東京五輪で実施された新競技・スケートボード。金メダル獲得ラッシュもさることながら、選手たちの躍動に胸を躍らせた人も多いだろう。東京五輪で日本代表コーチを務めた早川大輔さんと、当HP編集長・二宮清純が、スケートボードの魅力と将来性について語り合う。

 

二宮清純 東京五輪のスケートボードは、堀米雄斗選手(男子ストリート)、西矢椛選手(女子ストリート)、四十住さくら選手(女子パーク)が金メダルを獲得するなど大いに盛り上がりました。一方で、初めてスケートボードを見たという人も多いと思います。そもそも、日本にスケートボードが入ってきたのはいつ頃でしょうか。

早川大輔: 1970年代の中頃です。今も現役で滑っていらっしゃるアキ秋山さんが、日本人として初めてスケートボードの世界選手権に出場し、注目されるようになりました。

 

二宮: スケートボードは、もともとヒップホップをはじめとするアメリカのストリートカルチャーから生まれたものですよね。

早川: そうです。最初はカリフォルニアのサーファーたちが始めたといわれています。波のない日に陸で練習するために、小さな板にローラースケートの滑車部分を付けて滑っていました。その後、天候等の理由で海に出られないサーファーが、水を抜いたすり鉢状のプールで滑るようになり、本格化していったようです。

 

二宮: 早川さんがスケートボードを始めたのは、いつごろですか。

早川: 13歳からです。当時、若者向け雑誌の『ポパイ』や『ホットドッグ』などメディアで取り上げられる機会が多くて、それで興味を持ちました。運動好きでしたし、簡単だろうと思ってやってみたのですが、全く思い通りにボードを動かせなかった。それが悔しくて、友達と試行錯誤しているうちにどんどんハマッていきました。

 

二宮: 練習場所は、今みたいにたくさんはなかったでしょう?

早川: 公園や空き地、人通りのない奥まった道の行き止まり、それから公共施設の駐車場の端っこなどでやっていましたね。

 

二宮: アメリカ発のストリートカルチャーと聞くと、どうしても“不良っぽい”というイメージがつきまといます。練習を見ていた周囲の反応はどうでしたか。

早川: それはもう迷惑そうな目で見られました(苦笑)。「ここはダメだよ」とか、「いい加減に帰りなさい」とか、注意を受けたことは数知れません。

 

二宮: でもスケートボードの魅力というのは、そうした型や発想にとらわれない自由さにあると私は思うんです。それこそ、指導者が一方的に上から教える“体育会的スポーツ”とは真逆にあるものだと。

早川: おっしゃる通りです。私も中学時代はサッカー部に所属していましたが、上から指示されることに抵抗がありました。だからこそ、自分のイメージでトライできるスケートボードの「自由な空気」に、すごく惹かれたのです。

 

二宮: なるほど。ただ、そうは言ってもトリック(技)を磨くには、手本も必要ですよね。インターネットが普及していない時代、そうした情報はどうやって入手していたのですか。

早川: 上野(東京都台東区)にあるムラサキスポーツの店頭に流れていたスケートボードのビデオをずっと見ていましたね。それで地元に帰って仲間と情報を共有し、ああでもない、こうでもないと言いながら練習していました。

 

二宮: 早川さんの実家は理髪店を営んでいるそうですが、店を継ぐ予定は?

早川: 長男なので、幼い頃から自然と継ぐものだと思っていました。だから、高校卒業後は迷うことなく理容専門学校に入学したのです。

 

二宮 それがなぜプロスケートボーダーに?

早川: 専門学校を卒業し、実家とは別の理髪店に就職予定だったのですが、ふと「ああ、これで俺の人生は理容師としてやっていくんだな」という思いが頭をよぎりました。そうしたら無性に本場のアメリカで滑ってみたくなったのです。仕事柄、手にけがをすることは許されないので、「本気で滑るのはこれを最後にしよう」と決めて、ロサンゼルスへ1週間ほど出かけました。

 

二宮: そこで転機が待っていたわけですね。

早川: はい。ベニスビーチという所に滑りに行ったのですが、そこでカルチャーショックというか、衝撃を受けました。スケートボードの魅力に打ちのめされ、「やっぱり自分はずっと滑り続けていたいんだ」ということに気づいてしまったのです。

 

二宮: それまでもビデオなどで向こうの様子は何度も見ていたと思いますが、実際に本場で滑ってみるとまた違っていたわけですか。

早川: いや、むしろビデオで見たままの光景が目の前に現れて、その空気の軽さや空の広さに感動しました。今まで自分が日本でいろいろと考えてきたことは何だったんだろうと思うくらい、圧倒されました。

 

二宮: 現地のスケーターとは、すぐに打ち解けられたのですか。

早川: もちろんです。スケートボードを持って一緒に滑れば、すぐに仲間になれます。

 

二宮: 「私は日本から来たこういう者ですよ」などと自己紹介する必要もない?

早川: 全くありません。スケートボードさえあれば、言葉はいりません。一緒に楽しむ中で自然にコミュニケーションが取れ、分かり合える――そういう世界なのです。

 

(詳しいインタビューは4月30日発売の『第三文明』2022年6月号をぜひご覧ください)

 

早川大輔(はやかわ・だいすけ)プロフィール>

1974年3月14日、東京都葛飾区出身。13歳からスケートボードを始める。19歳で米ロサンゼルスを訪れた際、現地のスケートボード文化に触発され、プロスケートボーダーを志す。その後は国内外の大会に出場し、日本のスケートボードシーンを牽引して来た。堀米雄斗(2021年東京五輪男子スケートボード金メダリスト)のコーチとしても知られ、同大会では日本代表コーチも務めた。現在は自身のブランド「HIBRID Skateboards」の運営・ライダーをする傍ら、「SKATE HARD Inc.」の代表取締役として、若い才能をアメリカに派遣するプロジェクトを行うなど人材の育成にも取り組んでいる。


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