熱なき森保監督 指導者なれど指揮官たりえず
元スペイン代表のセスク・ファブレガスがスペイン紙「マルカ」で語った現代フットボール論がちょっとした論争を生んでいる。
長いインタビューをものすごくザックリ要約させてもらうと、「現代のサッカーは味気ないものになってしまった。監督たちはデータやフィジカルばかりを重視し、試合で起こることが見え透いている。サッカーはもっとエモーショナルなものなのに」といったところだろうか。
自らを「オールド・スクール」と自嘲気味に語ったセスクに対して、異論を唱えたのはスペイン代表監督のルイス・エンリケだった。
「少なくともわたしたち(スペイン代表)はそうではない。もしそうであれば、ペドリは1秒だってプレーできていないだろう」
そしてこうも言った。
「自分の現役時代の映像を見たが、まるで止まっているようだった。あれでは、代表はおろかリーガ1部でプレーすることも難しかっただろう」
つまり、彼はスペイン代表においては依然としてフィジカルがすべてではないと強調しつつ、自分が現役の頃のサッカーとは相当に異質なスポーツになっていることは認めていた。
どちらの言いたいことも痛いほどわかる。サッカーは進化した。あまりにもデジタル化が進んだせいか、驚きを与えてくれる試合は確実に少なくなった。セスクが言う通り、何が起こるか見えてしまう試合が増えてきている。
ベトナムと引き分けた日本代表の戦いもそうだった。
試合のほとんどの時間、日本の選手たちはベトナムと戦っているというより、自分たち、もしくは監督によって設けられた設定や規律と戦っているようだった。
不慣れなメンバー構成だった分、ある程度ギクシャクするのは仕方がない。ただ、アウェーの地上波放送がなく、確実に日本代表に対する関心が薄れつつある中、そしてここで結果を出さなければ定位置確保などおぼつかないという状況の中、屈辱的な先取点を許した怒りがまるで感じられなかったのは衝撃だった。
勝ったところで何か得られるわけではないという点で、日本とベトナムは共通していた。だが、ベトナムは必死だった。監督も必死だった。先制点に歓喜し、VARによるゴール取り消しに安堵する姿からは、この試合がW杯予選、国の威信、国民の期待を背負った戦いであるという覚悟と情熱が伝わってきた。
森保監督からは、まるで伝わってこなかった熱だった。
凄まじいバッシングを耐え抜き、本大会出場を決めた直後の試合ということで、一種の燃え尽き症候群に襲われるのはわかる。わかるのだが、監督たるものどんな試合であっても戦う姿勢、断じて失態を許さない姿勢だけは貫いてほしかった。
まして、欧州や南米に比べると予選の強度が低いと言われるアジアである。はっきり言えば、ベトナム相手に5点を奪わなければ自分たちの失敗である、ぐらい難易度の高い設定で臨んでもらいたかった。
森保監督ではダメだという意見に、わたしはまったく与しない。ただ、ベトナム戦における彼の姿勢は完全に論外だった。3月29日の彼は、指導者だったかもしれないが指揮官ではなかった。戦いの先頭に立つ者のそれではなかった。
<この原稿は22年3月31日付「スポーツニッポン」に掲載されています>