「Why」と考え続けてつかんだ世界チャンピオン ~ガッツ石松氏インタビュー~

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「OK牧場」のギャグでお茶の間に親しまれているガッツ石松さん。現役時代はWBC世界ライト級チャンピオンとして5回の防衛に成功した。その波瀾万丈のボクシング人生と闘いの哲学について、当HP編集長・二宮清純と語り合う。

 

二宮清純: まずは子どもの頃のことをお聞きしたいのですが、出身は栃木県粟野町(現・鹿沼市)ですね。

ガッツ石松: そう。寒村で集落はウチも含めて4軒ほど。とにかく貧しくて、掘っ立て小屋みたいな自宅は、強風が吹くと上から下から横から風が吹き抜けていった。雨漏りもひどくてね。家の中で傘を差していたこともあるよ。

 

二宮: 家の中で傘とは……。ご実家はどんな仕事をされていたのですか。

ガッツ: 親父は仕事をするのが好きじゃなかったから、家でのんびりしながら時々、近所の農家に日雇いで農作業に行っていた。だから家計を支えていたのは母親だった。日雇いで道路工事の作業員をやって日給は240円。いわゆる「ニコヨン」だね。

 

二宮: ご苦労されたんですね。

ガッツ:  まあね。とにかく家の中に食べ物がろくになくて、よくヨソの家にお邪魔していたよ。玄関で「こんにちは」と声を掛けて、返事がなければ台所まで行き、サツマイモやジャガイモが“落ちている”から頂いて帰るの。

 

二宮: あくまで“落ちていた”物を拾っただけ(笑)。

ガッツ: うん。落ちているから黙ってもらってくる。玄関であいさつもしているから、盗んでいるわけじゃない(笑)。小遣いもなかったから、よくポケットに小銭をジャラジャラさせている友達に声掛けて相撲をやった。それで投げて転がすと小銭が落ちるでしょう? それをサッと拾うわけ。無理に金を取ったりはしなかったよ。

 

二宮: これまた落ちていたから拾ったと(笑)。ガッツさんはガキ大将だったんですね。

ガッツ: そうだね。体は小さかったけど、ケンカで負けたことはなかった。そんなだから、みんな何か悪いことをすると、全部俺のせいにするんだ。すると、よく調べもしないで「あいつならやりかねない」って。それこそ警察にも2~3回ご厄介になったし、家庭裁判所にも行った。

 

二宮: 家庭裁判所というと少年院にも?

ガッツ: いや、その時はそもそも濡れ衣だったし、地元の有力者が「そんなに悪い子じゃない」って守ってくれた。それで裁判所の帰りに親父とラーメンを食べに行ったんだ。親父が一杯だけ頼んでね。俺にとって初めてのラーメンだったから無我夢中で食べたよ。親父は丼に残ったスープに水を入れて、うまそうに飲んだだけ。親父は裁判所でも頭を下げ続けていて、さすがに帰りのバスの中で、「俺は何てヤツだ」と嫌になった。その時、「いつか東京で稼いで、家を建て直し、親父と母親に腹いっぱい飯を食わせてやる」って思ったんだ。

 

二宮: 胸にグッとくる話ですね。ボクシングとの出会いについては?

ガッツ: 本当は高校に行きたかったんだけど、経済的に行ける状況じゃなかったから、中学を出たら東京で働くつもりだった。そんな時、よくテレビでボクシングの試合を見ていたんだよね。

 

二宮: 失礼ですが、テレビはあったんですか。

ガッツ: いやいや、金持ちの家に行って見せてもらうんだよ。でも、手ぶらでは行けないから、その家の入り口にある柿の木から柿をもぎ取って、「何もないけど食べてくれ」って渡すの。そうすると、「あら、悪いわね」なんて言って喜んで家に上げてくれる(笑)。ボクシングはパンツ一丁だから金も掛からなさそうだし、何より相手をぶっ飛ばすだけでこんなにみんなが喜んでくれる。その様子を見て、ボクシングをやろうって決めた。

 

二宮: その後、上京してヨネクラジムに入るわけですが、何かきっかけがあったのでしょうか。

ガッツ: 本当はファイティング原田さんの所属するジム(笹崎ボクシングジム)に行きたかったんだけど、田舎者だったからジムのある世田谷という場所がわからなくてね。そんな時に大塚で働いていた悪ガキ時代の同級生が、「俺の職場のそばにボクシングジムがあるぞ」と教えてくれたの。そこなら練習後にそいつと遊べると思って、何気なく入ったのがヨネクラジムだったんだ。

 

二宮: たまたまだったわけですね。その後、2回目のプロテストで合格し、1966年にプロデビューしました。始めこそ4連勝したものの、その後は引き分けを挟んで3連敗。私もボクシングをずっと取材してきましたが、この戦績で世界チャンピオンによくなれたものです。

ガッツ: 俺は常に「why(なぜ)」を大事にしてきた。試合が終わった後に、どうして負けたのか、どうして勝てたのか、自分なりに考えて次へとつなげてきたんだ。そうして8年ぐらい掛かって、やっとボクシングというものが分かってきた。

 

二宮: 学ぶことで成長をしてきたと。勝つために特に大事にしたことはありますか。

ガッツ: スタミナだね。例えば、マラソンで疲れ果てると足が止まって走れないでしょう。それと一緒で、ボクシングも疲れるから動けなくなって、打たれて負けるんだ。「嫌倒れ」って言葉がある。パンチが効いて倒れるのではなくて、疲れて「もういいや」と諦めて倒れるの。俺は世界を取るまでに11回も負けたけど、その多くが「嫌倒れ」だったね。

 

二宮 実力で負けていたわけではないと?

ガッツ: もちろん、強いなと思う相手はいたけど、そこまで圧倒的な力の差を感じなかった。当時は他に仕事もしなければ食べていけなかったから、そこまで走り込む時間がなかったんだよね。

 

(詳しいインタビューは6月1日発売の『第三文明』2022年7月号をぜひご覧ください)

 

ガッツ石松(がっつ・いしまつ)プロフィール>

本名・鈴木有二。1949年6月5日、栃木県粟野町(現・鹿沼市)出身。中学卒業後に上京し、ヨネクラボクシングジムに所属。二度目のプロテストで合格、66年にプロデビュー。69年に全日本ライト級新人王、72年に東洋同級王座を獲得。74年に3度目の世界挑戦でWBC世界ライト級チャンピオンとなり、以後連続5回の防衛に成功。78年の現役引退後は、タレント・俳優として幅広く活躍。『太陽の帝国』(スティーブン・スピルバーグ監督)、『ブラックレイン』(リドリー・スコット監督)など映画にも多数出演し、高倉健や菅原文太とも共演した。ボクシングの通算戦績は51戦31勝(17KO)14敗6分け。

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株式会社第三文明社

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月刊誌「第三文明」で2010年1月号より好評連載中の「対論×勝利学」は、 二宮清純が一流アスリートや指導者などを迎え、勝利への戦略や戦術について迫るものです。 現場の第一線で活躍する人々をゲストに招くこともあります。 当コーナーでは最新号の発売に先立ち、インタビューの中の“とっておきの話”をご紹介いたします。

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