<この原稿は2020年6月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

「僕は今も福岡ドーム(福岡PayPayドームドーム)に行けば、必ず天井を見上げるんです。すると最後の打球の記憶が鮮明に甦ってくる。(打球が上がった瞬間)“捕れる!”と思いましたから……」

 

 元巨人の槙原寛己が広島相手にプロ野球史上15人目の完全試合を達成したのは1994年5月18日のことである。平成における完全試合は、この1試合のみ。つまり現時点で、槙原は最後の完全試合達成者でもある。

 

 要した球数は102。27人目の打者は御船英之。一塁側ファウルゾーンにフラフラっと上がった打球がファースト落合博満のミットに収まった瞬間、槙原はマウンド上でジャンプした。

 

「もう、なんか……夢の中ですね」

 

 お立ち台で、そう答えた。

 

 試合前から槙原のモチベーションは異様に高かった。失地を回復するには、好投するしかない、と自らに気合を入れていた。

 

 実は大記録達成の前々日、槙原は門限破りがバレ、球団からペナルティーを課されていたのだ。

 

「福岡は年に1回しか行かない場所だから、挨拶がてら行きたいお店があったんです。1回、宿舎に戻り、着替えてから、もう一度(繁華街の)中州に繰り出した。時間は深夜の1時頃。

 僕はメガネをかけ、完璧に変装していたつもりだったんですが、なぜか那珂川の橋の上で、当時の投手コーチ堀内恒夫さんとスレ違ってしまったらしいんです。僕は目が悪いから気が付かなかった。3時頃、宿舎に戻ると、僕の部屋に紙が入っていた。マネジャーの部屋に来い、と。そこで罰金5万円と1カ月間の外出禁止を告げられたんです」

 

 罰金は仕方がない。しかし、1カ月間の外出禁止は厳し過ぎないか。翌日、福岡ドームのトイレでマネジャーに談判した。「子供じゃないんだから」「じゃあ明日の結果を見てからにしよう」。

 

 福岡ドームは槙原にとって験のいい球場だった。広い上にマウンドが高く、本格派の槙原には向いていた。本人の記憶によると、これまで1度も負けたことがなかった。

 

 ブルペンでのピッチングは荒れ気味だった。「初回は丁寧に行こう」。狙いは成功した。正田耕三、緒方孝市、野村謙二郎の上位3人を13球で料理した。

 

 広島の先発・川口和久は槙原とは対照的に福岡ドームが苦手だった。2回途中で5点を失い、早々とマウンドを降りた。

 

 槙原は2回以降も好投を続け、勝利投手の権利が手に入る5回を迎えた。2死の場面でバッターは6番・金本知憲。ピッチャーゴロを一塁へワンバウンド送球してしまったのだ。

 

「何やってんだよ!」

 

 落合に叱られた。

 

「その頃にはもう完全試合を意識していました。イージーなピッチャーゴロをワンバウンド送球してしまったのは緊張している証拠。手首が硬くなっていたんでしょうね」

 

 5回を投げ終えた時点で、槙原には小さな達成感があった。

 

「これで外出禁止処分はなくなったな」

 

 巨人ベンチがソワソワし始めたのは6回に入ったあたりからである。

 

「僕が近づくと、目が合った選手がスッといなくなるんです。意識して僕に話しかけないようにしている。長嶋(茂雄)監督も然りでした」

 

 6回、7回、8回も3人ずつで片づけ、いよいよ、大記録まであとアウト3つ。重苦しいベンチの空気を破ったのはキャッチャーの村田真一だった。

 

「おい、男だったらやってみろよ!」

「おう、わかった!」

 

 9回表、広島の先頭打者は代打の河田雄祐。俊足が売り物の左打者である。

 

「僕にすれば嫌なタイプでした。セーフティーバントとかもありますからね」

 

 初球、村田は探りを入れるため変化球から入ろうと考えていた。槙原は、これに首を振った。

 

「真っすぐで早めに追い込みたい」

 

 1ボール2ストライクからの4球目、フォークボールでセンターフライに打ち取った。

 

 あと、アウト2つ。8番の西山秀二はキャッチャーながら打撃に定評があった。

 

「おそらく初球を狙ってくる」

 

 槙原の読み通りだった。フォークボールを引っかけさせ、三塁ゴロに仕留めた。

 

 広島27人目の打者は右の御船英之。16年ぶりの大記録を目前にしても、槙原は冷静だった。

 

「この日は最後までストレートが走っていた。インハイに投げておけばファウルか空振りだろうと。最後のボールも、狙ったところにしっかり投げ切れました」

 

 1ストライク1ボールからの3球目、この日102球目は144キロのインハイへのストレート。鈍い打球音とともに見上げた福岡ドームの天井は、永遠なる記憶の財産である。

 

 26年前の偉業を、槙原はこう振り返る。

「19年間のプロ野球生活で、いわゆるゾーンに入ったのは、あの試合だけです。ピッチャーという生き物は、普通ここに投げて打たれたらどうしよう、四球を出したらどうしようと、悪いことばかり考えているんです。ところが、この日に限っては一切、そういうことがなかった。自分でもびっくりした試合でした」

 

 試合後、槙原はマネジャーに駆け寄り、こう耳打ちした。

 

「外出禁止の件、どうします?」

「いやぁ、オレは感動した。今日の門限はなしだから、好きなだけ飲んでくれ!」

 

 テレビ局回りが終わると、夜の中州が待っていた。


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