旧聞に属する話で恐縮だが、完全試合を達成した4月10日マリンスタジアムで行われた対オリックス戦での佐々木朗希のピッチングは圧巻ものだった。若者の活躍に目を奪われた野球ファンも多かろう。佐々木は令和初の完全試合達成者となった。平成に目を向けるとNPBで完全試合を果たしたのは元巨人の槙原寛己ただひとりだ。ミスターパーフェクトには2年前に完全試合について訊いた。少しヤンチャなエピソードも混じる槙原の完全試合秘話を振り返ろう。

 

 <この原稿は2020年6月5日号『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に掲載されたものです>

 

「僕は今も福岡ドーム(福岡PayPayドームドーム)に行けば、必ず天井を見上げるんです。すると最後の打球の記憶が鮮明に甦ってくる。(打球が上がった瞬間)“捕れる!”と思いましたから……」

 

 元巨人の槙原寛己が広島相手にプロ野球史上15人目の完全試合を達成したのは1994年5月18日のことである。平成における完全試合は、この1試合のみ。つまり現時点で、槙原は最後の完全試合達成者でもある。

 

 要した球数は102。27人目の打者は御船英之。一塁側ファウルゾーンにフラフラっと上がった打球がファースト落合博満のミットに収まった瞬間、槙原はマウンド上でジャンプした。

 

「もう、なんか……夢の中ですね」

 

 お立ち台で、そう答えた。

 

 試合前から槙原のモチベーションは異様に高かった。失地を回復するには、好投するしかない、と自らに気合を入れていた。

 

 実は大記録達成の前々日、槙原は門限破りがバレ、球団からペナルティーを課されていたのだ。

 

「福岡は年に1回しか行かない場所だから、挨拶がてら行きたいお店があったんです。1回、宿舎に戻り、着替えてから、もう一度(繁華街の)中州に繰り出した。時間は深夜の1時頃。

 僕はメガネをかけ、完璧に変装していたつもりだったんですが、なぜか那珂川の橋の上で、当時の投手コーチ堀内恒夫さんとスレ違ってしまったらしいんです。僕は目が悪いから気が付かなかった。3時頃、宿舎に戻ると、僕の部屋に紙が入っていた。マネジャーの部屋に来い、と。そこで罰金5万円と1カ月間の外出禁止を告げられたんです」

 

 罰金は仕方がない。しかし、1カ月間の外出禁止は厳し過ぎないか。翌日、福岡ドームのトイレでマネジャーに談判した。「子供じゃないんだから」「じゃあ明日の結果を見てからにしよう」。

 

 福岡ドームは槙原にとって験のいい球場だった。広い上にマウンドが高く、本格派の槙原には向いていた。本人の記憶によると、これまで1度も負けたことがなかった。

 

 ブルペンでのピッチングは荒れ気味だった。「初回は丁寧に行こう」。狙いは成功した。正田耕三、緒方孝市、野村謙二郎の上位3人を13球で料理した。

 

 広島の先発・川口和久は槙原とは対照的に福岡ドームが苦手だった。2回途中で5点を失い、早々とマウンドを降りた。

 

 槙原は2回以降も好投を続け、勝利投手の権利が手に入る5回を迎えた。2死の場面でバッターは6番・金本知憲。ピッチャーゴロを一塁へワンバウンド送球してしまったのだ。

 

「何やってんだよ!」

 

 落合に叱られた。

 

「その頃にはもう完全試合を意識していました。イージーなピッチャーゴロをワンバウンド送球してしまったのは緊張している証拠。手首が硬くなっていたんでしょうね」

 

 5回を投げ終えた時点で、槙原には小さな達成感があった。

 

「これで外出禁止処分はなくなったな」

 

 巨人ベンチがソワソワし始めたのは6回に入ったあたりからである。

 

「僕が近づくと、目が合った選手がスッといなくなるんです。意識して僕に話しかけないようにしている。長嶋(茂雄)監督も然りでした」

 

 6回、7回、8回も3人ずつで片づけ、いよいよ、大記録まであとアウト3つ。重苦しいベンチの空気を破ったのはキャッチャーの村田真一だった。

 

「おい、男だったらやってみろよ!」

「おう、わかった!」

 

 9回表、広島の先頭打者は代打の河田雄祐。俊足が売り物の左打者である。

 

「僕にすれば嫌なタイプでした。セーフティーバントとかもありますからね」

 

 初球、村田は探りを入れるため変化球から入ろうと考えていた。槙原は、これに首を振った。

 

「真っすぐで早めに追い込みたい」

 

 1ボール2ストライクからの4球目、フォークボールでセンターフライに打ち取った。

 

 あと、アウト2つ。8番の西山秀二はキャッチャーながら打撃に定評があった。

 

「おそらく初球を狙ってくる」

 

 槙原の読み通りだった。フォークボールを引っかけさせ、三塁ゴロに仕留めた。

 

 広島27人目の打者は右の御船英之。16年ぶりの大記録を目前にしても、槙原は冷静だった。

 

「この日は最後までストレートが走っていた。インハイに投げておけばファウルか空振りだろうと。最後のボールも、狙ったところにしっかり投げ切れました」

 

 1ストライク1ボールからの3球目、この日102球目は144キロのインハイへのストレート。鈍い打球音とともに見上げた福岡ドームの天井は、永遠なる記憶の財産である。

 

 26年前の偉業を、槙原はこう振り返る。

「19年間のプロ野球生活で、いわゆるゾーンに入ったのは、あの試合だけです。ピッチャーという生き物は、普通ここに投げて打たれたらどうしよう、四球を出したらどうしようと、悪いことばかり考えているんです。ところが、この日に限っては一切、そういうことがなかった。自分でもびっくりした試合でした」

 

 試合後、槙原はマネジャーに駆け寄り、こう耳打ちした。

 

「外出禁止の件、どうします?」

「いやぁ、オレは感動した。今日の門限はなしだから、好きなだけ飲んでくれ!」

 

 テレビ局回りが終わると、夜の中州が待っていた。


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