<この原稿は『第三文明』2012年10月号に掲載されたものです>

 

二宮清純: 今年6月に行われたWBC・WBA世界ミニマム級王座統一戦は、国内初の正規王者同士の統一戦として大きな話題を呼びました。WBC王者の井岡選手が、WBA王者の八重樫選手を3-0の判定で下したわけですが、今振り返ってみると、どうでしたか?

井岡一翔: 結果がよかったので、ホッとしました。

 

二宮: 試合前から体調が悪かったらしいですね。

井岡: 風邪だったのかどうかよくわかりませんが、試合の4、5日前に熱が出て、気管支炎にもなって咳が止まらなかったんです。

 

二宮: 内心、やばいなと思ったのでは?

井岡: 運に見放されたと思いました。コンディションとしては50%から60%くらいの状態でした。

 

二宮: どのようなファイトプランで臨もうと考えていましたか?

井岡: 相手がどう出るかにもよるんですが、自分の動きが中心になる試合運びを心がけていました。相手が下がるから自分が前に出るのではなく、自分が前に出るから相手が下がる。自分が動いているから相手が動くという展開です。自分から動きを作っていけば、ペースは自然と握れるだろうと思っていました。

 

二宮: そういう点では、ほとんどのラウンドがうまくいったんじゃないでしょうか。相手の動きに付き合っているところはあまり見られなかったように映りました。

井岡: でも、実際は余裕がなくてギリギリでした。後で試合をビデオで観ましたが、自分の動きは全然キレもないし、スピードもない。力強さもなかった。それなのに、よく頑張ったなと思います。最終的に「勝ちたい」という気持ちが結果につながったのだと思います。

 

二宮: 確かに判定では3-0でしたが、各ジャッジのポイントは1~2点差と僅差でした。試合終了後、「八重樫選手は強かった」と話していましたね。

井岡: 本当に強かったです。自分自身、精一杯でした。今までの試合でも、いつもギリギリのところで頑張って結果として勝ってきたので、今回も自分が強いから勝てたとはあまり思えないんです。

 

二宮: 最悪のコンディションでもこれだけの試合ができたのですから、自信にはなったでしょう?

井岡: 体調を万全にできなかったことは、自分のミスです。そのミスを自信に変えるわけにはいきません。今後はこういうミスがないようにしなきゃいけないと思っています。

 

 ボクシングは、いつもワンチャンス

 

二宮: 井岡選手が所属する井岡ジムの会長は、世界2階級制覇を達成した井岡弘樹さん。井岡選手の叔父さんにあたります。一方、八重樫選手が所属する大橋ジムの会長は、大橋秀行さん。現役時代は2人とも同年代に活躍し、WBC世界ミニマム級王座(初代・井岡、第4代・大橋)の保持者でもありました。そんなこともあって、この試合は双方の「代理戦争」とも言われました。多少、そのあたりを意識する面はありましたか?

井岡: 気にはしていませんでしたが、そう言われていた以上は、勝たなきゃいけない責任は感じていました。負けられないなという思いは強かったですね。

 

二宮: 試合終了後、会長からは何と言われましたか?

井岡: いろいろ言葉をかけてもらいましたが、今はもう覚えていません。僕自身も次への戦いが始まっているので……。

 

二宮: もし八重樫選手が再戦を求めてきたら、どうします?

井岡: そういう機会はたぶんないでしょう。僕はボクシングはいつもワンチャンスだと考えています。今回はお互いに世界王者という立場で統一戦を戦ったわけで、それ以上の舞台はもうないと思います。

 

二宮: 確かにそうですね。過去の日本人対決でも薬師寺保栄と辰吉丈一郎、畑山隆則と坂本博之、それぞれ実現したのは1回だけでした。裏を返せば、だからこそ多くの人の記憶に残る試合になったとも言えるでしょう。

 ところで、事前予想では井岡選手が優位との声が多かったのですが、その部分でのやりにくさやプレッシャーは感じませんでしたか?

井岡: 僕はそういうのはあまり気にしないタイプです。リングに上がって戦うのは僕らだけ。ほかのだれにも邪魔されない。リングの上でどっちが強いかということにしか興味はありませんでしたね。もちろん、勝つ自信はありました。

 

二宮: 今回の統一戦に勝って、今後は階級をライトフライ級へ上げることを表明しています。減量は多少、楽になるでしょうね。

井岡: そうですね。もともとライトフライ級で戦ってきましたから、ミニマム級で世界挑戦をして、防衛戦を2回やった上に、統一戦まで試合をするとは思っていませんでした。

 

二宮: これからもっと体が大きくなるでしょうから、ミニマム級で世界戦を4試合戦って次のステップに進むというプロセスは、将来のキャリアを考えると、とても順調にいっているように感じられます。

井岡: とにかく早く世界のリングに上がりたいという一心だったので、そういった計算をしていたわけではありません。ただ、ライトフライ級からひとつ落として、世界で戦い、そして世界チャンピオンになったことで自分の視野は広がったように感じます。それは結果としてよかったです。

 

「生きている!」という実感

 

二宮: 試合が近づくと緊張感からか、試合の夢を見る選手も多いと聞きます。井岡選手はどうですか? 

井岡: 夢はしょっちゅう見ますね。誰かに追われている感じの夢が多い。試合にまつわる夢は、負けている内容が多いです。僕は、普段からボクシングもそれ以外のことも、常にいろいろと考えるタイプ。だから、寝ている間も常に何か考えているんでしょうね。いつも熟睡している感覚はありません。

 

二宮: 厳しい勝負の世界で高みを目指せば目指すほど、いろいろ考えることも増えるのでしょうね。23歳にしては、かなり密度の濃い人生です。その分、「生きている!」という実感も強いのでは?

井岡: それはありますね。

 

二宮: 叔父さんが偉大なチャンピオンという環境で、「僕もボクサーとして生きるんだ」という覚悟は、幼いころからあったんですか?

井岡: そこまでの覚悟はなかったです。ただ単に、「かっこいいな」「自分もこうなりたい」という気持ちからボクシングを始めました。

 

二宮: デビューしたてのころは「あの井岡弘樹の甥っ子」といった紹介をされてきました。多少は複雑な思いもあったのでは?

井岡: その点は、あまり気にしていませんでした。自分でどうこうできる問題でもないですからね。周りからどう言われようと、ボクシングは個人競技です。叔父さんと試合するわけでもありませんし。

 

(後編につづく)


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