バルセロナ五輪の予選に挑んだ日本代表は、大学生を主体としたチームだった。中盤の柱となったのは東海大の澤登正朗、ケガ人の出た最終ラインをまとめたのは早稲田の相馬直樹である。GK下川健一、DF名良橋晃、FW藤吉信次など、プロアマ混合の日本リーグでプレーしている選手もいたが、あくまで、大学生が多数派を占めるチームだった。
 まだJリーグのなかった時代である。高校サッカーのスターは大学に進学するのが一般的だった。となれば、23歳以下の選手で構成される五輪代表が大学中心となったのは、当時の日本サッカーの状況を考えれば当然のことだった。
 だが、わずか4年後、アトランタ五輪でブラジルを破ったメンバーの中に、大学生は1人もいなかった。93年のJリーグ発足によって、高校サッカーの才能は大学に背を向ける時代となったのである。以来、その傾向はシドニー、アテネ、北京と受け継がれてきた。

 それだけに、わたしは今回の五輪代表を興味深く見ている。Jリーガーが多数派であることは変わりないが、攻撃の軸となっているのが大学生の永井謙佑だから、である。
 同年代にドルトムントの香川真司という“出世頭”はいるものの、ロンドンを目指す現在の日本五輪代表にとって、永井の爆発的なスピードが大きな武器であることは間違いない。だが、彼は高校サッカーのスターでもなければ、関東の大学に進んだエリートでもない。まして、高校を卒業してすぐJリーグのクラブにピックアップされたわけでもない。こういう存在が、年代別とはいえ代表チームの中で中核としての役割を与えられた例は、ちょっと記憶にない。

 だが、サッカー以外の面で注目を浴びた広州アジア大会の中国戦を見ても、彼のスピードはいささか暴力的ですらあった。育成システムが日本中に行き渡った副作用として、“金太郎飴”のような選手が増えてしまった中、システムの王道から外れたラインから永井のような傑出した特徴を持った選手が現れたのは、実に興味深い。
 彼は突然変異なのか。それとも、何らかの必然によって生み出されたものなのか。個人的には、なんとしてもその答えを探したいと思っている。

 ちなみに、3−0で圧勝した中国戦には、永井を含めて5人の大学生が出場していた。ケガ人などの問題がからんでいたのは事実としても、高校卒業時にJのスカウトの目から漏れた才能が、大学在学中に立場を逆転させたともいえる。野球を見ていても感じることだが、大学スポーツの力、侮りがたしである。

<この原稿は10年11月11日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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