石本康隆(プロボクサー/香川県高松市出身)第1回「王者に噛みついたアンダードッグ」
噛ませ犬――。闘犬において、自信をつけさせるためにあてがわれる弱い犬のことだ。ことボクシングにおいても、しばし用いられる比喩表現で、いわば“踏み台”扱いのボクサーのことを指す。昨年4月、中国・マカオで行われたWBOインターナショナル・スーパーバンタム級タイトルマッチでの挑戦者・石本康隆(帝拳ジム)は、まさに“噛ませ犬”と見られていた。対する王者のウィルフレッド・バスケス・ジュニア(プエルトリコ)は元WBO世界スーパーバンタム級王者。3階級制覇の名ボクサーを父に持つ、サラブレッドボクサーである。カジノ街であるマカオで、石本vs.バスケスに付けられたオッズは1:12。誰もがバスケスの勝利を疑わなかった。
この試合の2カ月前、バスケス戦のオファーを所属の帝拳ジムの本田明彦会長から聞いた時、石本の心は躍った。
「普通に考えれば会うことも難しい選手。そのバスケスと試合をすることができる。何より“バスケスvs.石本”が興行として、成り立つことにテンションが上がりましたね」
2年前にWBO世界スーパーバンタム級のベルトを奪われ、再起を図っている最中だったバスケス陣営としてみれば、手ごろな日本人をマカオで打ちのめし、スター街道に舞い戻る足がかりにする算段だったはずだ。
圧倒的不利という戦前の予想を覆そうと、石本は燃えていた。「まわりの反応がどういうものかはよくわかっていました。だからこそ、それが発奮材料になったんです」。加えて、彼には開き直りに近い境地にいた。「僕としては、帝拳ジムで世界チャンピオンと練習しているので、ちゃんと自分が仕上げていけば、歯が立たないことはないだろうと。実際、戦ってみて歯が立たなかったら、それはそれでしょうがない」。冷静と情熱の間の、適度な精神状態で、石本は試合を迎えていた。
戦前の予想を覆す善戦
22勝19KO2敗1分けという試合前の戦績から分かる通り、バスケスはハードパンチャーとして知られていた。周囲からは「パンチ強いし、倒されるよ」などと言われていた。実家の香川からマカオまで応援に駆け付けた石本の父親ですら「負けるかもな」と、内心弱気になるほどだった。
現地のボクシングファンの焦点も、どちらが勝つかではなく、バスケスが日本人を何ラウンドで倒すのか、そこに絞られているようだった。ゴングが鳴り、バスケスがいきなり強烈なパンチを石本に見舞うと、会場は一気に沸いた。一方、石本が有効打を当てても、静まり返ったままだった。
まるで敵地のような雰囲気の中、石本は冷静にバスケスの実力を測っていた。ガードの上からパンチを受けて、“これなら全然問題ない”と感じたという。バスケスさえも恐れるに足らず――石本はラウンドを追うごとに、勝利への自信を深めていった。
すると、徐々に場内の雰囲気も変わり、石本を“支持”するようになった。「自分の記憶だと4ラウンド目ぐらいですかね。完全にペースがこっちにきてから、僕のパンチが当たればお客さんが沸くようになりました」。声援に押され、石本もノッた。「気持ち良かったですね。5ラウンド終了時には、観客に(自分が優位だと)アピールしていたぐらいでした」
無意識に放った“軌跡”の右
ところが8ラウンド目、石本の左まぶたが切れ、流血した。滴り落ちる血で、左側の視界を奪われた状態の彼に、バスケスは容赦なく攻めてくる。石本はバスケスの攻撃をなんとか凌ぎながら、カウンターで右ストレートを当てる機会を窺っていた。しかし、逆襲の右はなかなか決まらない。
するとラウンド終了間際に試合が大きく動いた。バスケスのジャブをガードした石本は、一旦、下がった。すると、相手にスキが生まれた。一瞬のエアポケットだった。それに導かれるように石本はスッと距離を詰め、コンパクトな右ストレートを相手の右頬に叩き込んだ。バスケスはヒザから崩れ、キャンバスに手をついた。ダウンした元世界チャンピオンを目の前にして、石本は小さくガッツポーズをした。バスケスが立ち上がった瞬間、ラウンド終了のゴングが鳴った。
ダウンを奪ったシーンを振り返って、石本は語る。「覚えていないんですよね。ガードで凌いで、右を打とうとしていたことは覚えているんです。でも、最後に出した右は感触もなく、倒れているシーンしか記憶にない。(まぶたを切って)なにくそと思ったパンチでは倒れなかったのに……。狙ったパンチではなかったので、自分でもビックリしました」
試合前の作戦でも右ストレートに重点を置いていたわけではなかった。ただバスケスはパンチがあるので、大きく振ってくる。石本は小さく打つ練習をしてきていた。身体に染み込ませたコンパクトなスイング。それが自然に出たかたちとなった。“記憶にない右”は奇跡のパンチではなく、彼がこれまで積み上げてきた“軌跡”が生み出したパンチだった。
残りの2ラウンド、反撃を試みるバスケスに石本も応戦した。結局、規定の10ラウンドが終了し、勝敗の行方は判定を待つのみとなった。1人目のジャッジは95対95のドロー。そして96対93、95対94と2、3人目のジャッジの判定したスコアが発表された。試合終了直後は勝利を確信していた石本だったが、バスケスが左拳を高く挙げるのを見て、不安が募ってきた。だが、自らの勝利を信じて右拳を突き上げた。そして、リングアナが「New……」と発した瞬間、石本陣営は歓喜に沸いた。それは新チャンピオン誕生を意味する言葉だったからだ。レフェリーに左手を掲げられながら、石本は「やったー!」と何度も叫んだ。
“マカオの奇跡”と呼ばれるほど、劇的なアップセットを演じた石本。WBO世界スーパーバンタム級1位を倒したことにより、世界ランカーへと名乗りを上げた。一気に成り上がりを果たさんとする勢いの石本だが、ここまでのボクシング人生は決して華やかなものではなかった。
(第2回につづく)
<石本康隆(いしもと・やすたか)プロフィール>
1981年10月10日、香川県生まれ。中学2年でボクシングをはじめ、アマチュアでは1戦1敗。02年2月、20歳で上京し、帝拳ジムに入門する。同年7月にプロテストに合格し、11月に後楽園ホールでデビューを果たした。05年にはスーパーフライ級で東日本新人王決定戦準優勝。11年には、スーパーバンタム級で日本タイトル挑戦権獲得トーナメント“最強後楽園”で優勝し、日本タイトルへの挑戦権を奪取した。しかし、翌年2月の日本同級タイトルマッチでは判定で敗れ、ベルト獲得はならなかった。12年4月に、WBOインターナショナル・同級タイトルマッチで勝利し、王座を獲得。現在は、スーパーバンタム級でWBO世界7位、日本3位。右ボクサーファイター。29戦23勝(6KO)6敗。
>>ブログ「まぁーライオン日記〜最終章〜」
(文・写真/杉浦泰介)