(写真:「プロレス界の帝王」と呼ばれる高山。2006年には脳梗塞からのカムバックを果たしている)

 高山善廣が、入院生活を続けていることは聞いていた。でも、回復の見込みがない深刻な状態に陥っているとは知らなかった。

 

 9月4日、後楽園ホール展示会場で開かれた記者会見には、プロレス団体DDTの社長である高木三四郎、鈴木みのる、そして高山堂の石原真マネジャーが出席。そこで発表された内容に私も強いショックを受けた。

 

「意識はありますが、首から下の感覚がなく、(入院直後は)人工呼吸器をつけて呼吸をする状況でした。でも現在は自分で呼吸できるようになり、ICU(集中治療室)からHCU(準集中治療室)に移り、8月中旬に関東の病院に転院しました。自分で呼吸はできる状況です。ただ、首から下の感覚が戻っていません。医師からは『現状、回復の見込みはない』と言われています。本人も絶望を口にしたことがありましたが、いまは少しでも望みを持ってリハビリを行っています」(石原マネジャー)

 

 5月4日、大阪・豊中市ローズ文化ホールで開かれたDDTの大会で、高山は6人タッグマッチに出場した。試合中に高山は、回転エビ固めを仕掛けたが、その際にマットに頭部から落下、動けなくなってしまい病院に救急搬送された。当初は「頸髄損傷および変形性頚椎症」と診断され、時間が経てば回復すると思われていたが、そうではなかったようだ。

 

 高山は私と同じ歳で、闘いに対して真摯な男だ。

 思い出すのは、いまから16年前、2001年12月23日、マリンメッセ福岡での『PRIDE18』。この大会のメインエベントで高山は、セーム・シュルト(オランダ)と対戦した。序盤からシュルトの左強打を顔面に浴び続けて1ラウンド3分9秒、KO負けを喫した。

 

 この試合の直後、偶然、バックステージのエレベーターで高山と2人だけになった。

 

 顔が左右非対称になるほどに赤く腫れ上がっていた。鼻は曲がり、口を閉じていても上下の唇がねじれている。話しかけられずにいると、気を遣ってくれたのか、高山が口を開く。

「近藤サン、大丈夫ですよ。でも、あんなパンチは初めて。効くというよりも、とんでもなく痛い。まるでレンガかブロックで殴られているような感じなんです」

 

 逃げない男

 

 その後、高山はインタビュールームに向かった。本当は、すぐに病院へ直行すべきなのに。

 

 メディアから容赦のない質問が飛ぶ。

――これで(PRIDEで)2連敗。PRIDEから撤退するのか?

 

 この時、高山は毅然と答えた。

「逃げたら、プロレスは続けられない。この闘いをやめる時は、プロレスをやめる時です」

 

 高山は、昭和のプロレスの「強くなければプロレスラーとして存在できない」との意識を強く持つ男なのだ。

 

 戦績は良くなかったが、彼はプロレスラーとしてのプライドを保つために、リアルファイトからも逃げなかった。

 

 高山の回復を切に願う。

 

 先日の記者会見では、高山の状況報告とともに、彼を支援するために『TAKAYAMANIA』を設立したことも発表された。募金を行ない、それを彼の高額の治療に充てる。できるだけ多くの人に協力をお願いしたい。

 

▼募金の振り込み先

東京三菱UFJ銀行 代々木上原支店

(店番号)137

口座番号:普通預金 0057767

口座名義:株式会社 髙山堂

 

▼問い合わせ先

takayamania.staff@gmail.com

 

近藤隆夫(こんどう・たかお)

1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『忘れ難きボクシング名勝負100 昭和編』(日刊スポーツグラフ)。

連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)


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