騒ぎにならなければ辞退必要なかった?
あくまで門外漢なので、純粋に思ったことを。
学校側の発表。考えに考えた末にひねり出した文面だったことは間違いない。でも、だからひっかかった。どこからどう読んでも、SNSとそれによってひき起こされた騒ぎを辞退の理由にしているとしか読めなかったから。
えっと、騒ぎになっていなかったら、辞退は必要なかったってことですか?
騒動を取り上げるメディアの中にも、ひっかかる見方があった。「学校側は初動を間違えた」とか「対応の遅れが命取りだった」とか。
えっと、初動を間違えていなかったら、素早く対応していたら、辞退は必要なかったってことですか?
いまとなっては信じられない気もするが、酒を飲んでハンドルを握り、捕まったこと、あるいは免れたことが武勇伝にもなる時代がかつてはあった。日本社会が痛ましい事故を経験し、厳罰化が進んでもなお、あのころと同じ感覚で過ちを犯すドライバーは絶滅していない。
同じ匂いを、今回の騒動からは感じる。
令和のいま、昭和の部活につきものだったしごきや暴力は、ある種のネタとして、笑い話として、各種メディアに取り上げられている。いまは許されないけど、昔は大丈夫だった――という前提が、発信する側にも受け取る側にもある。上の世代になればなるほど、ある。そこで「絶対に許されるべきではなかった」とムキになる経験者、タレントさんはいないし、いたとしても「痛いキャラ」で片づけられるのがオチだろう。
なので、今後も同様の騒動はなくならない気がする。
運転と酒を完全に切り離そうとする空気が支配的になってもなお、日本から酒気帯び運転はなくなっていない。となれば、相対的に高いとは言い難いスポーツと暴力を切り離そうとする熱量が、この国のスポーツから暴力や理不尽なしごきを絶滅しうるとは思えないのだ。
部員が暴力事件を起こしたから辞退した――それ以外の説明が、理由がまかり通ってしまうところに、つまりは暴力事件に対する禁忌があまりにも希薄なところに、わたしはどうしても引っ掛かりを覚えてしまう。
若い世代の嫌悪感は高まっている。では、選手を預かる側、主催する側、論じる側――つまり上の世代はどうなのか。絶対に禁忌とすべきもの、排除しなければならないもの、という前提に立っているのか。そこがあやふやなままである限り、同様の騒動はまた起こりかねない。「バレなければいい」という暗黙の了解が染みていくだけだ。
いずれにせよ、これだけ社会を揺るがす騒ぎとなった以上、野球界はもとより、他のスポーツ、ひいては社会全体にも何らかの影響が及んでもおかしくはない。個人的には、そうでなくても曖昧だった「厳しい指導」と「パワハラ」がより近しい意味合いに寄っていくのでは、と考えている。
受ける側にとって、パワハラが受け入れがたいのは当然。ただ、同じく受け入れがたいからといって、厳しい指導までも全否定してしまうのはどうか、というのが個人的な思いだった。
だが、この流れはもう止まりそうにない。
たとえ選手のことを考えた指導ではあっても、受け入れがたいと感じた側から告発されれば、指導者生命は終わりかねない。衝突を避け、ソフトに、ソフトに。それがこれからの指導者に求められる姿勢なのかもしれない――しばらくの間は。
<この原稿は25年8月14日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>