ダルビッシュ時代の投手たち
柔道男子73キロ級で銀メダルを獲った中矢力選手が印象に残る。もちろん、ロンドン五輪の話である。
相手を見据える目がいい。上から目線で相手を見下ろすのではない。かといって、挑みかかる猛禽類のような視線でもない。相手に対して、上からでも下からでもなく、どこか静かに、しかししたたかな自信を帯びて、相手を見る。これが世界と戦う目だよなぁ。
決勝では、残念ながらロシアのマンスール・イサエフに敗れた。試合後のインタビューの、「日本へ帰って反省します」という受け答えには、いたたまれなくなる。何もそこまで言わんでも、世界の2番じゃないか。反省なんかしなくていいのに、と思っていたら、「寝技師が寝技でやられるほど屈辱的なことはないんです」という、的確なテレビ解説があった。
なるほど。あれは逆十字腕ひしぎですね、おそらく。完全に入ったように見えた。ああ負けた、とこっちが天を仰いだ瞬間、何と中矢はイサエフの腕ひしぎを外したのである。どうやったら外せるのか知らないが、すごい技術だ。
もっとも、中矢が押さえこみに入ったかぁ、と力が入った時も、意外にあっさりイサエフに外されてしまった。このあたり、寝技師としては、納得できないのでしょう。
とはいえ、世界のトップクラスと対等以上に戦う態度というものを、彼の視線は十分に表現していた。
話はベースボールに移る。
メジャーリーグで世界と戦う日本人選手たちにも、さまざまな転機が訪れているようだ。
松井秀喜はレイズから戦力外通告を受け、自由契約になることを自ら選択した。イチローはヤンキースに移籍した。下位を打つ可能性も受け入れる契約だという。
今季、最も注目を集めたダルビッシュ有(レンジャーズ)はどうか。
既に11勝(3日現在)を挙げているのだから、当然、成功というべきだろう。
開幕当初は、マウンドやボールに不慣れな面があったのだろう、突然、コントロールを乱すシーンが目立った。それは試合を追うごとに、克服しようとしてきたように見える。なによりも、奪三振の多さが目立つ。評価すべき点であろう。
ただ、あえて言えば、ヒットを打たれることにも、少し慣れたのではあるまいか。
開幕当初は、当然、日本時代の記憶があるから、いわば完封して当たり前みたいな感覚だった。メジャーでは、さすがにそうはいかない。
プリンス・フィルダー(タイガース)に打たれて、「まだ学ぶべきことがある」という主旨のコメントをしたのが、象徴的だ。現状でも、フィルダーを抑え込むだけの力は十分にもっていると、私は確信しているが。このあたりに、抑えて当然だったものが、感覚的に、打たれることに慣れたという側面がほの見える。
もっとも、そういう経験も含めて、彼の目指す「世界一の投手」への過程、ということなのだろう。その意味で、オールスター直前のインタビューも印象的だ。日本の選手は、日本球界の常識にとらわれず、もっと新しいトレーニングなどに取り組むべきだ、と力説したのである。旧来のカラにこもっていないで、やってみないことには、わからないではないか。それでミスしたら、やり直せばよい。
彼が意識しているかどうかは知らないが、この言葉には、自分が日本野球の歴史を変える、という意思がこめられている。
実際に、日本の投手の歴史は、ダルビッシュ以前と以後で、大きく変わった。
最もわかりやすいのが「○○二世」という呼称である。かつて速球派左腕は、こぞって「江夏二世」だった。
今、高校球界では、190センチ近い長身エースが注目される。これは、例えば松坂大輔(レッドソックス)が出現しても起きなかったことである。ダルビッシュが、投手は長身が有利という、本来は常識ではあっても、日本球界では必ずしも信用されてこなかった常識を、覆したのだ。
その一つの成果が、今季、高卒ルーキーながら注目される“九州のダルビッシュ”こと、福岡ソフトバンクの武田翔太である。
あるいは、センバツの優勝投手、大阪桐蔭の藤浪晋太郎。彼は、“浪速のダルビッシュ”の異名をとる。
そして「ダルビッシュ時代」は、今、また一人、逸材を世に送り出そうとしている。
センバツの一回戦でその藤浪と投げ合った花巻東の大谷翔平である。
残念ながら、夏の甲子園には出られなかったが、岩手県予選で、なんと160キロを計測したのだ。
高校生の160キロは、歴史的な事件である。日本の投手の歴史が動いた日といってもいい。
その大谷は身長193センチ。投げ方もダルビッシュに通じるものがある。実際にそうコメントするスカウトもいるし(広島・宮本洋二郎スカウトなど)、たまたま見たテレビ朝日の番組では(番組名失念。すみません)、古田敦也氏が、大谷の投球フォームを解析して、右腕の使い方が、まさにダルビッシュだと分析していた。
とくに、バックスイングに入るときの、右肘から手首の角度ですね。
何よりもすごいのは、大谷の160キロが、低めから浮き上がるように捕手の手前でひと伸びして、低めのストライクだったということだ。
これまで高校最速とされた寺原隼人(横浜DeNA)の158キロはボールだった。寺原は、ダルビッシュ以前に属する速球投手なのである。
日本野球の投手の歴史は、ダルビッシュ時代に入ったといってよい。
それはまた、日本球界が、世界のトップレベルと伍していく道でもある。
当のダルビッシュは、後半戦に入って、11勝目はあげたものの、不安定な内容を見せている。8月1日のエンゼルス戦は、5回7失点。3回の6失点が痛い。「周りからもずっと四球のことを言われて、(中略)気にしすぎてしまった。次からは(中略)全く四球を気にせずに気持ちを出していこうと思う」とコメントしている。
基本的には四球を嫌い、球数を少なくし、100球で交代する。これがアメリカ野球である。彼も順応せざるをえない。しかし、それが必ずしも自分本来の投球ではない。
こうも言っている。「体の使い方とか、別の投手にならければいけないかなと思う」(いずれも「スポーツニッポン」8月3日付)。
むしろ、彼は「世界一」になるために、自ら望んでこういう試行錯誤の道をえらんだのだ。それはいわば投手の歴史の先頭に立って、歴史を切り開こうともがく姿といってもいい。
おそらく、彼には大投手に上り詰める素晴らしい未来が待ち受けている。打者を見る目にも、その自信を見てとることができる。
ただ、あえてひと言だけ付け加えれば、あの中矢力の目にあった奥深い落ち着きが、そこにはまだ宿っていないような気がする。
上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
相手を見据える目がいい。上から目線で相手を見下ろすのではない。かといって、挑みかかる猛禽類のような視線でもない。相手に対して、上からでも下からでもなく、どこか静かに、しかししたたかな自信を帯びて、相手を見る。これが世界と戦う目だよなぁ。
決勝では、残念ながらロシアのマンスール・イサエフに敗れた。試合後のインタビューの、「日本へ帰って反省します」という受け答えには、いたたまれなくなる。何もそこまで言わんでも、世界の2番じゃないか。反省なんかしなくていいのに、と思っていたら、「寝技師が寝技でやられるほど屈辱的なことはないんです」という、的確なテレビ解説があった。
なるほど。あれは逆十字腕ひしぎですね、おそらく。完全に入ったように見えた。ああ負けた、とこっちが天を仰いだ瞬間、何と中矢はイサエフの腕ひしぎを外したのである。どうやったら外せるのか知らないが、すごい技術だ。
もっとも、中矢が押さえこみに入ったかぁ、と力が入った時も、意外にあっさりイサエフに外されてしまった。このあたり、寝技師としては、納得できないのでしょう。
とはいえ、世界のトップクラスと対等以上に戦う態度というものを、彼の視線は十分に表現していた。
話はベースボールに移る。
メジャーリーグで世界と戦う日本人選手たちにも、さまざまな転機が訪れているようだ。
松井秀喜はレイズから戦力外通告を受け、自由契約になることを自ら選択した。イチローはヤンキースに移籍した。下位を打つ可能性も受け入れる契約だという。
今季、最も注目を集めたダルビッシュ有(レンジャーズ)はどうか。
既に11勝(3日現在)を挙げているのだから、当然、成功というべきだろう。
開幕当初は、マウンドやボールに不慣れな面があったのだろう、突然、コントロールを乱すシーンが目立った。それは試合を追うごとに、克服しようとしてきたように見える。なによりも、奪三振の多さが目立つ。評価すべき点であろう。
ただ、あえて言えば、ヒットを打たれることにも、少し慣れたのではあるまいか。
開幕当初は、当然、日本時代の記憶があるから、いわば完封して当たり前みたいな感覚だった。メジャーでは、さすがにそうはいかない。
プリンス・フィルダー(タイガース)に打たれて、「まだ学ぶべきことがある」という主旨のコメントをしたのが、象徴的だ。現状でも、フィルダーを抑え込むだけの力は十分にもっていると、私は確信しているが。このあたりに、抑えて当然だったものが、感覚的に、打たれることに慣れたという側面がほの見える。
もっとも、そういう経験も含めて、彼の目指す「世界一の投手」への過程、ということなのだろう。その意味で、オールスター直前のインタビューも印象的だ。日本の選手は、日本球界の常識にとらわれず、もっと新しいトレーニングなどに取り組むべきだ、と力説したのである。旧来のカラにこもっていないで、やってみないことには、わからないではないか。それでミスしたら、やり直せばよい。
彼が意識しているかどうかは知らないが、この言葉には、自分が日本野球の歴史を変える、という意思がこめられている。
実際に、日本の投手の歴史は、ダルビッシュ以前と以後で、大きく変わった。
最もわかりやすいのが「○○二世」という呼称である。かつて速球派左腕は、こぞって「江夏二世」だった。
今、高校球界では、190センチ近い長身エースが注目される。これは、例えば松坂大輔(レッドソックス)が出現しても起きなかったことである。ダルビッシュが、投手は長身が有利という、本来は常識ではあっても、日本球界では必ずしも信用されてこなかった常識を、覆したのだ。
その一つの成果が、今季、高卒ルーキーながら注目される“九州のダルビッシュ”こと、福岡ソフトバンクの武田翔太である。
あるいは、センバツの優勝投手、大阪桐蔭の藤浪晋太郎。彼は、“浪速のダルビッシュ”の異名をとる。
そして「ダルビッシュ時代」は、今、また一人、逸材を世に送り出そうとしている。
センバツの一回戦でその藤浪と投げ合った花巻東の大谷翔平である。
残念ながら、夏の甲子園には出られなかったが、岩手県予選で、なんと160キロを計測したのだ。
高校生の160キロは、歴史的な事件である。日本の投手の歴史が動いた日といってもいい。
その大谷は身長193センチ。投げ方もダルビッシュに通じるものがある。実際にそうコメントするスカウトもいるし(広島・宮本洋二郎スカウトなど)、たまたま見たテレビ朝日の番組では(番組名失念。すみません)、古田敦也氏が、大谷の投球フォームを解析して、右腕の使い方が、まさにダルビッシュだと分析していた。
とくに、バックスイングに入るときの、右肘から手首の角度ですね。
何よりもすごいのは、大谷の160キロが、低めから浮き上がるように捕手の手前でひと伸びして、低めのストライクだったということだ。
これまで高校最速とされた寺原隼人(横浜DeNA)の158キロはボールだった。寺原は、ダルビッシュ以前に属する速球投手なのである。
日本野球の投手の歴史は、ダルビッシュ時代に入ったといってよい。
それはまた、日本球界が、世界のトップレベルと伍していく道でもある。
当のダルビッシュは、後半戦に入って、11勝目はあげたものの、不安定な内容を見せている。8月1日のエンゼルス戦は、5回7失点。3回の6失点が痛い。「周りからもずっと四球のことを言われて、(中略)気にしすぎてしまった。次からは(中略)全く四球を気にせずに気持ちを出していこうと思う」とコメントしている。
基本的には四球を嫌い、球数を少なくし、100球で交代する。これがアメリカ野球である。彼も順応せざるをえない。しかし、それが必ずしも自分本来の投球ではない。
こうも言っている。「体の使い方とか、別の投手にならければいけないかなと思う」(いずれも「スポーツニッポン」8月3日付)。
むしろ、彼は「世界一」になるために、自ら望んでこういう試行錯誤の道をえらんだのだ。それはいわば投手の歴史の先頭に立って、歴史を切り開こうともがく姿といってもいい。
おそらく、彼には大投手に上り詰める素晴らしい未来が待ち受けている。打者を見る目にも、その自信を見てとることができる。
ただ、あえてひと言だけ付け加えれば、あの中矢力の目にあった奥深い落ち着きが、そこにはまだ宿っていないような気がする。
上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。