宮岡良丞(愛媛銀行SASUKE出場選手/愛媛県松山市出身)第2回「漁師・長野誠の衝撃」
愛媛県松山市出身の宮岡良丞は、人見知りの少年だった。自身の幼少期について、こう語る。
「たとえば、回転寿司に行ったとして、いまはタブレットで注文できるけど、僕が子どもの頃は職人さんに直接注文する時代でした。その注文が人見知りのためできないほどでした」
オンラインのインタビューではハキハキと返答してくれたものの「(インタビューは)だいぶ慣れましたが、いまでも人見知りです。飲食店で注文する時は、もっと勇気が要ります」と照れながら言った。
宮岡は小学1年時からテニスを習い始めた。母がテニスに興じていたことがきっかけだった。テニスを選択した理由には、人見知りの性格も大いに関係していた。
「周囲の同級生は野球をやっていた子が多かった。僕は本当に人見知りで、野球は監督や他の選手とコミュニケーションを取らないといけないから、親に“野球は絶対にやらない”と言っていたそうです。一方、テニスは個人スポーツなので、人とそんなに喋らなくてよかった」
コーチに教わっていた子どもは宮岡を含め4名。「3名が同い年で、1名が年下」だった。「小学生の時はいまより負けず嫌いでした。練習で同期に負けただけで泣いていた」と懐かしそうに振り返った。小学6年時には四国大会ベスト8に進出するほどの腕前に成長した。
公園でSASUKEの練習
テニスの魅力については「駆け引きの楽しさ」と宮岡は口にして、こう続けた。
「たとえばバックハンドを狙おうか、回り込みのフォアハンドを打たせないようにしよう、といった感じでゲームメイクをしていく。相手の得意なところを封じた方がいいのか、それとも苦手なところを攻めたほうがいいのか……。どうしたら相手が嫌がるのかを見極めるのは、やっていて面白かったです」
テニス少年だった宮岡が、SASUKEを初めてテレビで観たのは小学1年時の7歳の頃だった。宮岡の回想。
「初めてテレビで観たのは2000年秋第6回大会でした。この時はリアルタイムで1度、観ただけ。01年春第7回大会は録画をして、何度も見返しました。子どもの頃に観たSASUKEで一番印象深いのが、01年秋第8回大会です。長野誠さんの身のこなしをテレビで観て“綺麗だなぁ”と思ったんです」
長野誠とは、漁師として漁業に勤しみながらSASUKEに出場し、第17回大会では史上2人目となる完全制覇を達成した選手だ。
宮岡は近所の公園の遊具をSASUKEの障害物に見立てて、練習した。
「小学生の低学年時はテニスの練習は週に1回。学校が3時くらいに終わると時間があるので公園に行ってSASUKEの練習をしていました。滑り台(の滑る箇所を逆走して)を駆け上がったり、うんていをやったり。“アスレチックを楽しむ”という感覚はなかったです。SASUKEをイメージしてトレーニングしていました」
滑り台のてっぺんから地面に落ち、頭部から出血して病院に運ばれたこともあった。それでも「ずっとSASUKEの練習をしていた」と言うのだから、本当に好きだったのだろう。
SASUKEにのめり込むように熱中した小学生の宮岡は、ある日、周囲の大人が驚くようなセリフを口にした。
(つづく)
<宮岡良丞(みやおか・りょうすけ)プロフィール>
1993年8月7日、愛媛県松山市生まれ。幼少期からテニスを始める。2011年、高校3年時にはインターハイに出場した。「SASUKE」は小学校1年時に初めてテレビで視聴した。2014年から「SASUKE」に応募を続け、2023年第41回大会から出場している。第42回大会では、史上初めてバーティカルリミット.BURSTをクリアし、.BURST導入後初のFINAL進出を果たした。完全制覇を目標に日々、トレーニングに打ち込んでいる。

