第844回 “暴れん坊軍団”東映のリアル
1950年代中盤から60年前半にかけて“駒沢の暴れん坊”の異名で恐れられたチームがある。駒沢球場を本拠地としていた東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)だ。
その中心にいたのが“ケンカ八郎”と呼ばれた浪華商(現大阪体育大浪商)出身の捕手・山本八郎。喧嘩っ早さにかけては右に出るものがなく、2度も無期限出場停止処分を受けている。
引退後は千葉の鴨川シーワールドでシャチの飼育係を務めていたが、東映ファンだった放送作家の高田文夫から、「シャチが言うことを聞かないので殴ったところクビになった」という話を聞いた。真偽の程は定かではないが、さもありなん、と思わずヒザを打ったものだ。
暴れん坊軍団の一翼を担った白仁天が、8月15日、韓国で死去した。82歳だった。
白仁天は韓国の社会人野球から62年に捕手として東映入りし、66年に外野手に転向、主力打者として活躍した。東映は65年に本拠地を後楽園球場に移転したが、“駒沢の暴れん坊”のイメージが変わることはなかった。
チームの顔でもあった張本勲は、韓国の後輩について、こんな裏話を披露している。
<今でも忘れられないのは試合前のロッカーでの出来事だ。白仁天は当時東映の4番だった大杉勝男と仲が悪かった。それで試合前に「けんかをさせてくれ」という。仕方がないので「10分だけだぞ」と許可した。みんなの見てる前で殴り合い。10分たって止めようとしたら大杉が「先輩、あと少しだけ。僕の方が殴った回数が1回少ないので」>(スポニチ8月16日付け)
東映映画の任侠路線が『人生劇場飛車角』を皮切りにスタートしたのが63年。その後『網走番外地シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』と次々にヒット作を飛ばすことになるが、球場のロッカールームでも、既にして“仁義なき戦い”が繰り広げられていたわけである。
こう見ていくと、東映フライヤーズの歴史は、プロ野球の裏面史そのものだ。
<この原稿は2026年9月7日号『週刊大衆』に掲載されたものです>
