浦野博司(セガサミー野球部)<前編>「消えかかったプロへの灯」

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「よし、今日はいける」。セガサミー野球部のエース浦野博司は、マウンド上で静かに自らのピッチングへの手応えを感じていた。
 6月2日、第84回都市対抗野球大会東京都2次予選・第2代表決定戦。この試合に勝てば、セガサミーの都市対抗本戦出場が決まる大事な一戦だった。相手は今年のドラフト上位候補の吉田一将擁するJR東日本。同じくドラフト上位候補の浦野とのエース対決は、プロ6球団のスカウトが視察に訪れるほど高い注目を浴びた。そんな中、浦野は初回の先頭打者を三振に切ってとった。4日前とは違う自分を浦野は感じていた。
 5月29日、セガサミーは第1代表決定戦に臨んだ。相手はNTT東日本。先発を任された浦野にとっては、1年前の雪辱を果たすチャンスだった。実は昨年も第1代表の座をNTT東日本と争っている。ルーキーながら先発マウンドを託された浦野だったが、4失点で5回途中に降板。チームも4−9で敗れた。
「今年はチームの目標として第1代表で都市対抗出場を目指していたんです。だから、絶対にこの試合で決めたいと思っていました」
 ところが、その気合いが裏目に出てしまった。6安打2失点で5回で降板。6回以降は継投した大山暁史が1安打無失点に抑えたものの、打線は沈黙したまま、0−2で完封負けを喫したのである。

「その日、ブルペンでは調子が良かったんです。でも、調子のバロメーターである初回の先頭打者を打ち取った時に、あまり納得のいくボールではなかった。いつもよりもコントロールが定まっていない感じがしたんです。案の定、それ以降もいつもだったら決まるところにうまく決まらず、甘く入ったりしていました。決め球のスライダーやフォークも、いつもだったら空振りが取れるところで取れなっかった。だから序盤は無失点に抑えていても、『大丈夫かな……』という気持ちが正直ありました」

 浦野の予想は的中した。3、4回と打者にファウルで粘られ、最後にうまく合わせられてというヒットが続き、1点ずつを失ったのだ。結局、その2点が最後までチームに重くのしかかったのである。試合後、監督やコーチから力みを指摘された浦野は、自分の悪い癖が出てしまったことを反省した。
「気合いが入ると、変に力んでしまうんです。勢いのあるボールを投げたくて、腕の振りを速くしようとするから上半身が前に突っこむ。さらに横振りになって、体の軸がブレるので、コントロールが安定しないんです。NTT東日本戦は、第1代表への強い思いが、悪い方向にいってしまったんだと思います」

 そして迎えた第2代表決定戦。浦野は力みのないピッチングを心掛けた。先頭打者をファウルで2ストライクに追い込むと、伸びのある142キロのストレートで空振り三振に仕留めた。
「早めに追い込んで、ピッチャー有利のカウントにするのが、ポイントのひとつ。それが初回の1人目からできたので、手応えを感じていました」
 案の定、この日の浦野のピッチングは冴えわたった。3回には3者連続三振をマークするなど、6回まで1人のランナーも許さない快投を披露した。

 最大のピンチは7回。1安打2四球で満塁とすると、暴投で1点を失い、2−1と1点差に迫られた。さらに2死後にも四球を与えて再び満塁としてしまう。1点も許されないプレッシャーのかかる場面だったが、浦野は次打者を内野ゴロに仕留め、最少失点に抑えた。8、9回を無失点に抑え、浦野は1失点完投でチームを勝利に導いた。

 プロを諦めた大学4年の春

 今やセガサミーの大黒柱としてチームを牽引し、ドラフト候補にも挙がっている浦野だが、これまでの野球人生は決して順風満帆だったわけではない。大学時代は思うような結果を残すことができず、半ばプロを諦めたこともあった。その浦野に救いの手を差し伸べたのが、セガサミーだった。

 高校卒業後、浦野は地元の愛知学院大学に進学した。高校時代は甲子園まであと一歩というところまで行ったこともあったが、結局3年間、一度も全国の舞台を踏むことはできなかった。当時、甲子園では広陵高・野村祐輔(広島)や成田高・唐川侑己(千葉ロッテ)らが活躍し、プロのスカウトからも高い注目を浴びていた。浦野にとって彼らは雲の上の存在として映った。プロの世界は自分とは縁のないものだと思っていた。だが、さらに高いレベルで野球をやりたいという気持ちはあった。そこで監督からの勧めもあって、地元の強豪・愛知学院大への進学を決めた。

 浦野は1年春から先発としてリーグ戦に出場した。しかし、春は0勝、秋は1勝という成績に終わった。すると、翌年には「先発をクビになった」。抑えたいという気持ちが強くなればなるほど、逆にそれが力みとなって空回りした結果だった。2年の1年間はリリーフに回ったが、3年春から再び先発に戻った。そしてこの頃から、徐々にプロへの気持ちが強くなっていった。

 浦野は3年春には6勝1敗、防御率はリーグ2位の0.70。4年春も6勝0敗、リーグトップの防御率0.65という好成績を収め、MVPやベストナインに輝いた。プロのスカウトも視察に訪れるようになり、浦野自身も本気でプロを目指していた。だが、浦野は結局、プロ志望届を出さなかった。それは全国の舞台で自らの力不足を感じたからだった。全日本大学野球選手権、浦野は先発、リリーフとして3試合に登板した。2回戦の東北福祉大戦は完投したものの、7安打4失点。それでも打線が逆転して1点差で凌ぎきった。そして準決勝の慶応大戦は最終回に登板し、0回2/3を投げて2失点。相手の勝利を決定づけた。

「僕は大学からストレートでプロに行きたいと思っていました。社会人は全く考えていなかったんです。でも、4年の選手権で『これじゃ、通用しないな』とプロに行くことを諦めました。そんな時に、セガサミーから声をかけられたんです。それで、今は行けなくても、社会人で2年間頑張って力をつけて、プロに行こうと。それからでも遅くはないんじゃないかと思ったんです」
 一度は消えかかったプロへの情熱が、浦野の心に再び灯り始めた――。

(後編につづく)

<浦野博司(うらの・ひろし)
1989年7月22日、静岡県出身。小学3年から笠原スポーツ少年団で野球を始め、5年から投手となる。浜松工高卒業後、愛知学院大に進学し、1年春からリーグ戦に出場。3年春から主戦投手となり、4季連続優勝に貢献した。リーグ戦通算成績は24勝。3年春、4年春にはMVP、ベストナインに輝く。4年の全日本大学野球選手権大会ではベスト4、明治神宮大会では準優勝。12年にセガサミーに入社し、先発の柱として活躍。昨年の都市対抗野球大会では初戦の日本通運戦に先発し、6回1/3を4安打1失点の好投で、チーム3年ぶりとなる本戦勝利に貢献した。今年は第2代表決定戦でJR東日本を1失点完投し、2年連続での本戦出場にチームを導いている。178センチ、70キロ。右投右打。

(文/斎藤寿子)
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