トニーニョこと、アントニオ・ベネディッド・ダ・シウバトニーニョはJリーグ草創期を華やかに彩った外国人選手の1人だった。
 トニーニョは1965年、サンパウロ州のカンピーナスで生まれた。頭角を現したのは、同州のジャウーにある、キンゼ・デ・ジャウーというクラブの下部組織だった。
 サッカーに多少詳しい人ならば、このクラブに聞き覚えがあることだろう。そう、三浦知良が所属していたクラブである。
(写真:カズそしてトニーニョが育ったジャウー。撮影:田崎健太)
 トニーニョを日本へ導いたキング・ファーザー

「カズとぼくはキンゼのジュニオール(18歳以下)の一員としてタッサ・サンパウロという大会に出場した。確か初戦を落としたはずだ。そこで監督がメンバーを大幅に入れ替えたんだ。そこで控え選手だったカズが入った。ぼくはずっとレギュラーだったので、緊張した面持ちのカズに“落ち着け”と声を掛けたことを覚えている」

 その後、トニーニョは85年にポルトゲーザのトップチームとプロ契約を結び、89年にはブラジル代表にも招集された。
 ブラジルでは次々と才能ある選手が産まれてくる。ちょっとした運と巡り合わせに恵まれなければ、能力ある選手も埋もれてしまう。トニーニョは90年にはポルトゲーザからグアラニ、91年にはフラメンゴへと移籍したが、目立った結果を残すことはできなかった。

 彼の運命を大きく変えたのは、三浦知良の父、納谷宣雄だった。
 納谷は拙著『キング・ファーザー』(カンゼン)にも書いたように、日本のサッカー代理人の草分けである。

 当時、日本サッカー界はJリーグ創設へ動きはじめていた。納谷は以前からブラジル人選手を日本リーグのクラブへ紹介していた。プロ化に伴い、納谷の仕事は増えていた。
 トニーニョはキンゼ・ジャウーで納谷の知己を得ていた。日本で成功するには、サッカーの技術はもちろんだが、異文化を受け入れる前向きな姿勢が大切である。明るいトニーニョにはその資質があった。91年夏、納谷はトニーニョを読売クラブへ連れて行くことにした。

「読売クラブに来たとき、誰もぼくのことを知らなかった。ところが、初戦の中央防犯戦で5得点を挙げたんだ。結局、シーズンを通して18ゴールを挙げて、日本リーグ最後の得点王になった。読売は契約延長を申し出たんだけれど、清水エスパルスに行くことにした。みんな忘れているかもしれないけれど、アルシンドやビスマルクたちは、Jリーグになってから日本にやってきた。その前から日本にいたのは、ぼくとジーコなんだ」

 Jリーグ前哨戦となった92年のナビスコカップで清水エスパルスは準優勝という成績を残した。日本リーグのチームを母体としない新設クラブの躍進は、関係者を驚かせることになった。その立役者の1人がトニーニョだった。

 浦和では封印した飛行機ポーズ

 93年シーズンこそ、トニーニョは怪我を抱えて結果を残せなかったが、94年には22得点、クラブ初のハットトリックも記録している。
 95年シーズン途中、外国人枠の関係で、清水から浦和レッドダイヤモンズへ期限付き移籍することになった。
(写真:浦和での秘話を語ってくれたトニーニョ。撮影:西山幸之)

「浦和に行ったとき、社長がぼくを呼んで、得点を挙げた後に飛行機のポーズをしないでくれと頼んできた。清水のスポンサーはJALだったから、あのポーズをしていたのだと思っていたんだね。あのポーズはポルトゲーザにいたときからやっていたんだけれど」

 トニーニョは得点を決めた後、両腕を広げて喜びを表現していた。

「飛行機のポーズをしないならば、車をプレゼントすると社長はカタログを持ち出してきた。三菱のどんな車でもプレゼントしてくれると言うんだ。ぼくにはたくさん家族がいたので、大きなパジェロをもらった。だから、浦和のときは飛行機のポーズをしていないんだよ」
 そう言うとトニーニョは悪戯っぽく笑った。

 しかし、浦和にはいい思い出はあまりない。
「レッズを出ようと思ったのは、あの時の監督がぼくをセンターバックにコンバートしたからだ」
 当時、浦和の監督はドイツ人のホルガー・オジェックである。
「理由は分からない。ぼくが聞きたいよ。想像するにぼくは視野が広い。最終ラインでボールを持たせて、展開させることと考えたのかもしれない」
 守備の選手として起用されることは居心地が悪かった。

「ジュビロと対戦したことがある。監督からはドゥンガをケアしろと言われていた。ドゥンガのそばに行くと、“なんでお前がここにいるんだ”って驚かれたよ。レイソルとの試合でもカレッカから、“どうしてお前にマークされないといけないんだ”って苦笑いされた」

 95年シーズン終了後、トニーニョは清水に戻るが、シーズン途中でブラジルへ帰国することにした。そこで日本との差を改めて感じることになる。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち—巨大サッカービジネスの闇—』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。最新刊は『怪童 伊良部秀輝伝』(講談社)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。
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