世界1位の経済大国における5番目のスポーツと、3位の国における2番目のスポーツ。観客動員で世界9位の国と12位の国。大差はないように見える。あるはずがないようにも思える。けれども、両者の間には途方もないほどの差が生まれ、いまなおその格差は開きつつある。米国と日本のサッカー環境について、である。
 なぜ日本よりもはるかに後方に位置していた米国サッカーとMLSは、こうも簡単に日本を逆転し、ぶっちぎりつつあるのか。リーグだけでなく、世界の超名門クラブを招いての国際大会を開けるまでなったのか。米国とは無関係なチームの対決に、11万人もの人が集まるようになったのか。

 理由はもちろん一つではない。ただ、米国サッカーの台頭は、ドイツサッカーの復活、あるいはイタリアサッカーの衰退の根源にあるものと同じ理由を有しているように思える。

 快適性――。

 以前、ドイツの建築会社を取材した際、これからのスタジアム作りにおける最も重要な哲学の一つとしてあげられたのがこれだった。スタジアムに足を運ぶ観客に忍耐を強いてはいけない。快適で、また行きたいと思わせる環境を作らなければならない。そして、彼らはこの方向性を米国のスタジアムから学んだ、とはっきり認めていた。野球やアメフトのスタジアムから。

 場内での買い物はすべてプリペイドカードでできるようにした。06年当時と比べてトイレの数を倍増させ、ハーフタイムの行列を半減させた。一度作られてしまうとただ劣化を重ねていくだけの日本のスタジアムに比べ、ドイツのスタジアムは依然として進化と変化を続けていた。これは、運営する側の根幹に、より快適な環境を提供しようという強い意思があるかないか、の違いでもある。

 快適なスタジアムはリピーターを生む。それが陸上トラックのついていない、臨場感溢れるものであれば尚更である。

 残念ながら、イタリアはそうした面で大きく後れをとってしまった。陸上トラックのついたスタジアムの割合は、東欧圏、あるいは日本並みに高い。改修にかける資金もない。セリエAとアズーリの衰退は、ある意味で当然の帰結でもある。

 ドイツサッカーは米国のスタジアムに学び、世界で最も快適性の重要さを知る米国人は、MLSにもリピーターを生み出せるスタジアムを作り上げた。住民投票でスタジアム建設のための増税が可決されることも珍しくないお国柄だけあって、スポーツにおける器の重要性は、国民意識の深層にまで染み渡っているということなのだろう。

 見方を変えれば、快適性とも先進性ともおよそ無縁なスタジアムの多い日本が、世界12位の観客動員を誇っているのは大したものだ、とも言えるのだが。

<この原稿は14年8月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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