――日本のクラブを紹介して欲しい。
 かつてブラジルのクラブへ行くと、選手から良くこう声を掛けられたものだった。こちらは取材で来ている。代理人ではないと説明しても、「クラブの人間を知っているだろう、紹介してくれ」としつこく食い下がられたこともあった。
 1990年代、ブラジルのサッカー選手の目にJリーグは夢のリーグとして映っていた。高給が保証され、そして何より遅配や未払いがないことが魅力だったのだ。
(写真:ブラジルに戻ったトニーニョにも給与未払いの問題がつきまとった。撮影:西山幸之)
 ブラジルで直面した給与未払い問題

 ヴェルディ川崎、清水エスパルス、浦和レッズでプレーしたトニーニョが母国ブラジルのバスコ・ダ・ガマへ移籍したのは96年のことだった。

 バスコはフォワードのエジムンド、中盤にジュニーニョ・ペルナンブッカーノ、サイドバックのフェリッペ、キーパーのカルロス・ジェルマーノなど才能ある選手を抱えており、92年から3年連続でリオ州選手権で優勝していた。

 しかし、チームの財政は最悪だった。トニーニョがバスコに所属した6カ月間、一度も給料が支払われなかったという。
「ぼくがブラジルに戻ってきたのは、バスコがいい金額を提示したからだった。ところが、ブラジル全国選手権、コパ・コメボルに出場したけど、一切支払われなかった。貰ったのは、リオ州選抜としてサンパウロ州選抜と試合をしたときだけだった。あれはバスコとは関係ない試合だったからね」

 コパ・コメボルとは南米サッカー連盟が主催する、国際大会である。

「当時のバスコでは誰も給料をもらっていなかった。いや、誰もじゃないな。ジュニーニョには、渋々支払っていたようだ。彼はクラブの大切な選手だったからね。残念ながら、ぼくはそうではなかったんだ」

 その後、トニーニョはパラナ州のロンドリーナ、サンパウロ州のマットネンセ、ペルナンブッコ州のサンタクルスと渡り歩いた。

「そういえばサンタクルスの監督はオタシリオだったよ」
 トニーニョは明るい声を出した。オタシリオは横浜フリューゲルスの監督を務めたこともある。

 これらのクラブのうち、きちんと給料が支払われたのはマットネンセだけだった。99年、彼はサンタクルスで現役引退を決めた。

 新鮮だったバルセロナのトレーニング

 その後、トニーニョはスペインのバルセロナへ向かった。FCバルセロナには、弟のソニー・アンデルソンがプレーしていた。

 ソニー・アンデルソンこと、アデウソン・ダ・シウバは70年にゴイアス州ゴイアトゥーバで生まれた。兄トニーニョと同じようにサンパウロ州のキンゼ・デ・ジャウーの下部組織でプレーし、その後、バスコ、グアラニへ移籍したが出場機会は与えられなかった。 

 彼の才能が開花したのは、92年にスイスのセルベッテというクラブに移籍してからだ。

 セルベッテに2シーズン在籍した後、フランスのオリンピック・マルセイユ、ASモナコを経て、97年シーズンからFCバルセロナへ移った。インテルミラノへ移籍した“怪物”ロナウドの穴を埋めることを期待されていた。

 トニーニョは弟の家に同居することにした。
「バルセロナの監督は(ルイス・)ファン・ハール、コーチが(ロナルド・)クーマンだった。選手にリバウドやジオバンニ、そしてデブール兄弟、クライフの息子。オランダ人が沢山いたな」

 トニーニョはエメルソン・レオン、バンデルレイ・ルッシェンブルゴ、アントニオ・ロペス、ネルシーニョなど優秀なブラジル人監督の指導を受けた経験がある。

「彼らから多くのことを学んだ。ただ世界には様々なサッカーがある。もっとサッカーを知りたいと思ったんだ。やはりバルセロナの練習はブラジルとは違っていた。ブラジルではまずフィジカルトレーニングから始める。バルセロナではシーズン開幕前に追い込んだ後は、フィジカルトレーニングをせず常にボールを使った練習をしていた。今ではブラジルも変わったけど、当時は新鮮だったな。清水エスパルスの監督だった(アルゼンチン人のオズワルド・)アルディレスを思い出した。彼もイングランドで監督していたから、欧州的だったんだろうね」

 毎日、弟と一緒にグラウンドへ行き、メモを取りながら練習を見学。月に一回程度、ファン・ハールと話す時間を貰い、質問をぶつけた。

「監督と弟はスペイン語を話せた。弟に通訳してもらったんだ」

 97-98シーズン10ゴール、98−99シーズン6ゴールとソニー・アンデルソンは、ロナウドの代役としての役割を果たすことは出来なかった。そして99−00シーズン、ソニー・アンデルソンはフランスのオリンピック・リヨンへ移籍することになり、トニーニョも渡仏した。

 1年後、トニーニョはバスコ時代の同僚、ジュニーニョ・ペルナンブッカーノとリヨンで再会した。2001年、ジュニーニョがリヨンへ移籍してきたのだ。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち—巨大サッカービジネスの闇—』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。最新刊は『怪童 伊良部秀輝伝』(講談社)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。
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